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2023.04.30 08:30

良き理解者から贈られた”ドテラ” 「シン・マキノ伝」=第6部=【64】 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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ドテラを着て庭にたたずむ牧野富太郎(個人蔵)

ドテラを着て庭にたたずむ牧野富太郎(個人蔵)

 ここに掲載する、牧野がドテラを着て樹木にたたずむ写真を見たことがある読者もおられるであろう。これとは別に、横になったポーズで撮影された写真もある。お気に入りのドテラであったと推測される。牧野が亡くなった昭和32(1957)年に刊行された「採集と飼育」(19巻6号)では牧野の逝去を悼む特集記事が組まれ、それに向坂道治は「牧野富太郎博士の旅だより」という牧野から送られたはがきや写真を多数掲載した記事を寄せている。向坂は「牧野日本植物図鑑」で良き協力者であった人物である。掲載された写真の一枚が、上述のドテラを着て立つもので、そのキャプションには「石井勇義氏から贈られた九十九里浜の大漁ドテラを着て喜ぶ先生」とある。この一文から、ドテラは石井勇義が牧野にプレゼントしたものであることが分かった。さらに、最近になって、ドテラではなく「万祝(まいわ)い」と呼ばれる、江戸時代から戦前にかけて、大漁の際に引き出物として出された漁師の晴れ着であることも明らかとなった(山本伸子氏のご教示による)。石井は成東の出身で、九十九里浜には近い。

 石井が逝去したのは、牧野が亡くなるより4年前の昭和28(1953)年のことであった。牧野より30歳も若いのであるから…

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