2024年 05月05日(日)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

2023.02.12 08:00

【国産旅客機撤退】国家事業の総括欠かせぬ

SHARE

 三菱重工業が、国産初のジェット旅客機スペースジェット(旧MRJ)事業から撤退すると発表した。これまでに1兆円の開発費を投じたものの、1機も納入できないまま挫折した格好だ。開発を担った子会社も清算するという。
 開発の凍結を2020年10月に公表しており、完全撤退も想定された状況だった。とはいえ、国の成長戦略に盛り込まれた国家プロジェクトの頓挫は、日本のものづくりに対する国際的評価にも関わりかねない。今後の産業政策に教訓を生かすためにも、事業の在り方をきちんと総括する必要がある。
 日本経済にとって、航空機産業の復活は長年の念願だった。
 連合国軍総司令部(GHQ)は戦後、航空機の研究や生産を禁止。解除を受け、官民で旅客機製造に乗り出し、双発プロペラ機「YS11」を開発したが、採算が取れずに1970年代初めに生産を終えた。その後は海外の大手航空機メーカー向けに機体の一部や部品を造ってきた。
 ただ、約100万点の部品からなる航空機は産業の裾野が広く、雇用創出効果は大きな魅力だった。国産ジェット旅客機構想が経済産業省の音頭で2000年代初頭に浮上し、自衛隊機を手掛ける三菱重工が08年、需要拡大を見込んだ小型旅客機の事業化を決定した。
 しかし、当初から「日の丸ジェット」は、期待や思惑が先走っていた印象が拭えない。日本の技術力を過信していたのか、見通しの甘さを最後まで引きずってしまった。
 完成機を手掛ける経験やノウハウが乏しいにもかかわらず、三菱重工は自前の技術にこだわり、商業運航に必要な安全性を認める「型式証明」の取得作業を進めた。その結果、海外技術者が持つノウハウの取り込みは遅れ、誤算が誤算を生む悪循環に陥ったようにみえる。
 13年だった最初の納入予定は、開発凍結までに6度も延期され、型式証明の取得にめどをつけられなかった。
 国費500億円を投じて開発を支援した国にも、責任がないとはいえまい。スペースジェットは15年に初飛行したが、国土交通省の審査も体制の弱さとノウハウ不足で遅々として進まなかった。
 三菱重工は20年の開発凍結時、その理由に新型コロナウイルス禍で世界の航空機需要が縮小したことを挙げたが、最後の一押しにすぎなかったのではないか。開発に時間がかかりすぎて、世界市場で競争力を失った現実を重く受け止めなければなるまい。
 かつてものづくり大国を誇った日本の製造業も、生産拠点の海外移転などで地盤沈下が目立つ。22年の貿易収支は過去最大の赤字を記録。円安の影響は大きいにしても、日本が世界でどう稼ぐかが問われているのは間違いない。
 15年にわたった国家プロジェクトの失敗から何を学び、どう生かすのか。政府の産業政策は一層、重要さを増している。

高知のニュース 社説

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月