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2023.01.18 08:30

「池長植物研究所の明暗(上)」 シン・マキノ伝【44】=第4部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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池長植物研究所の正面に腰掛ける牧野富太郎(昭和4年12月、個人蔵)

池長植物研究所の正面に腰掛ける牧野富太郎(昭和4年12月、個人蔵)

 前回で話題となった、池長孟と牧野富太郎の2人の夢であり、実現に向けて協働すべき池長植物研究所はその後どうなったであろうか。大正6(1917)年8月5日の朝日新聞に、「日本に唯一の植物標本館 神戸に出来る池長研究所 ◇今秋までには一通り完成」という見出しで次のような内容の記事が掲載された。植物分類学の泰斗牧野は、素封家の池長と提携して、長年の苦心の植物標本を世に出すためにその準備が着々と進められている。牧野は標本整理に従事し、池長は神戸の会下山(えげやま)にある正元館(しょうげんかん)修築をはじめとして諸事に当たっている。その正元館は、池長家が所有する洋風の建物で、建坪が約百坪、階上に大広間、階下に数室あって、広間を陳列室となし階下を研究室に充て、名称を「池長植物研究所」としてこの秋開館の予定である。標本は出来次第送ることになっているが、多数の材料であり、また標本として最も完全を期するためにも比較的多くの日数を要する見込みである。一通り秋に完成するため牧野は池長家の別所にて急ぐことになった。開館となれば、…

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