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2023.01.15 08:30

シン・マキノ伝・第4部スタート! 「大学での危うい立ち位置」【41】 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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 牧野富太郎は自叙伝を残している。「シン・マキノ伝」でも常に参照している基本文献である。「牧野富太郎自叙伝」という書名で出版されたのは昭和31(1956)年であるが、その時に書き下ろした文章ではなく、大半は約15年前に書かれ公にされたものである。すなわち自叙伝の中で大学を辞めた後の心境を語った「私の今の心境」という短文の最後に「終りに臨み、私のために永らく貴重な誌面を提供された白柳秀湖先生のご厚意に対し、深甚なる感謝の意を表したいと思う」という一文が挿入されている。これは、「日本民族」という雑誌に昭和14年から翌年にかけて7回にわたって「牧野富太郎自叙伝」というタイトルで牧野が寄稿したことを指している。その雑誌は入手が難しいものであるが、早稲田大学の図書館に収蔵されていると、長年牧野と交流のあった人物について研究されてきた故・漉川葵人(こしかわ・きじん、※ペンネーム)氏にご教示いただいた。そして、「私の今の心境」の次に来る「八十五歳のわれは今何をしているか」および「花と私—半生の記」は「牧野富太郎自叙伝」に後から追加された部分で、後者は最後に「昭和28年9月」という年紀がある。

 さて、「霧生関」第25号(1911年)に掲載される、すでに紹介したことがある「佐川と学術の関係—附現代植物学界に対する意見」は、自分の人生を振り返って牧野が記者に語った記録と思われる。数えで50歳の時である。若い頃の思い出ばかりでなく、明治44年当時の牧野のありようや見解を伝えるものとしても非常に興味深い。

 牧野は、当時の状況をこう述べる。「私はこの十数年来、常に大きい岩の下に座って、その岩の落ち来らん事を今か今かと待つ身となった。…

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