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2023.01.01 08:31

坂本龍馬、横山隆一…先人たちの「おめでとう」高知ゆかりの年賀状

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 年賀状の歴史は古い。平安時代には既に、お世話になっている人や親しい人の自宅を訪れて年始回りを行い、遠方の人には新年のあいさつを記した書状を送る習わしがあった。その風習が簡略化され、はがきの年賀状が送られるようになったのは、郵便制度ができた明治時代から。坂本龍馬や寺田寅彦、横山隆一ら、郷土の先人たちの「おめでとう」を、その交遊録や年賀状の歴史などとともに紹介する。(楠瀬慶太)

■坂本龍馬→木戸孝允
「お龍と住む家決まりました」
 1867(慶応3)年、下関(現山口県)にいる坂本龍馬が、前年の薩長同盟締結に携わった長州藩の木戸孝允に宛てた手紙。「私とお龍が下関で住む家が決まりました」と報告している。「改年の賀事、御同意の御儀存じ奉り候」(年も改まりめでたきことと存じ奉ります)と新年のあいさつをしたため、長州藩士の井上馨との面会などについても記している。(宮内庁書陵部蔵、部分掲載)


〈現代語訳〉

 年も改まりめでたきことと存じ奉ります。
 さてお別れした後、三田尻の方へ出掛けようとした所でしたが、井上聞多(馨)兄にお話を託し、私は直(す)ぐに下関へと戻りました。
 かねてお示しのように、越荷方(こしにかた=藩の役所)の久保松太郎先生にお目にかかり、私(とお龍)の下関での滞在場所の周旋をお願いした所、阿弥陀寺の本陣伊藤助太夫方にお世話になることに決まりました。
 そういう事情ですので、これから近日中に長崎へと参り、準備を整えてから下関に帰ってこようと思います。
 いずれご面会の折にはまたいろいろとお話を伺います。まずは早々拝頓首(とんしゅ)。
 一月三日 龍馬
 木圭(木戸の雅号)先生
 御坐下
 (宮川禎一著『坂本龍馬からの手紙』より。一部にルビと注釈を加えています)


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