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2022.12.24 08:35

高知市追手筋の居酒屋「一軒家」閉店 焼け野原から70年超 特製たれ「鶏足」愛され

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 黄色い看板が目印だった一軒家。焼け野原の時代から立っていた(写真はいずれも高知市追手筋1丁目)

黄色い看板が目印だった一軒家。焼け野原の時代から立っていた(写真はいずれも高知市追手筋1丁目)


「あの人はいつもここが指定席で…」と名残惜しそうな山崎利子さん

「あの人はいつもここが指定席で…」と名残惜しそうな山崎利子さん

 高知市の追手筋で、70年以上営業してきた居酒屋「一軒家」が、このほど閉店した。焼け野原にぽつんとあったためその名がついたとされる、老舗中の老舗。看板の「骨付き鶏足」をはじめ、庶民的メニューは県内外の左党にこよなく愛されてきた。今春、山崎利子さん(79)とともに店を守ってきた義妹の紘子さん(77)が倒れ、休業して再開を探ってきたが気力が続かなくなった。「ここらが引き時」。師走の街でなじみの灯がまた消えた。

 店は利子さんの義父、豊繁さん(故人)が戦前の帯屋町に開き、焼け野原だった現在地に移した。「他に何もなかったき、一軒家としたがやないろうか」。そう笑う利子さんは、2代目滋弘さん(84)と20歳で結婚し、店に立った。

 骨付き鶏足のたれは、先代から譲られ、継ぎ足して使ってきた。夫妻で働きだした頃は既に大繁盛。「夏はビールを冷やすのが間に合わず、たらいに氷水で瓶を冷やしたり。先代の財産のおかげやね」

 映える黄色い看板は、以前は白かった。1998年ごろの台風で倒れて付け替える際に、看板屋に勧められてこの色に。「『ラーメン屋ですか?』って入ってくるお客さんもいてね」

 「皆が『お母さん』って呼んでくれた。『彼女連れてくるき』と言ってた子が『この子と結婚する』と報告に来てくれたり。楽しかった」。カウンター中心の1階も2階の宴会場も、夜ごと楽しげな声を街に響かせ、名物店としてテレビでもよく取り上げられた。

 滋弘さんは体調を崩して10年以上前に引退。さらに今年4月、紘子さんが店で倒れた。脳梗塞だった。客の119番通報で救急搬送され命を取り留めた。店を休業してリハビリを続けたが、夏を過ぎ、秋風が吹いても復帰のめどは立たず。利子さんは「一度休むと気持ちがなえてしもうて。新しい人を入れるのも難しい」。12月に入り閉店を決めた。

 店内の日めくりカレンダーは紘子さんが倒れた翌日、4月12日のまま。店の入り口には今、閉店とお客さんへの感謝を伝える紙が張られている。

 70年以上、一軒家の隣で営業してきた居酒屋「きくや」の2代目、浜川時則さん(73)は「2軒並んでよう盛り上がってた」と悲しみを隠さず、「のれんをくぐれば青春があった」と惜しんだ。

 一軒家は毎年、クリスマスシーズンに骨付き鶏足の持ち帰り客が殺到していた。「今でも『買いに行くき、チキン作っといて』という電話が来る。もう、たれも片付けてしもうた。先代には申し訳ないけど、引き時かな」。利子さんは目を潤ませて話した。(川田樹希)

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