2022.11.24 08:30
「ようやく実物に巡り合えた」 シン・マキノ伝【37】=第3部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)
関根雲停筆「ホテイラン」(高知県立牧野植物園所蔵)
牧野富太郎は、押し葉標本の束の中にあの植物が交じっているのを見つけて、狂喜乱舞したことであろう。それは、絵を通してのみ存在を知っていたコヤスノキと呼ばれる植物であった。「絵」というのは、江戸時代につくられた「富山藩調製ノ草木帖」と飯沼慾斎(よくさい)の「草木図説木部」であって、牧野はコヤスノキの実物を見たことがなかった。そのため、何属のものなのか、産地はどこか、分からないでいた。一度見たいと思っていたその標本を、矢部吉禎(よしただ)=1876~1931年、植物学者=を通じて得た、兵庫県の「植物熱心家」大上宇市(一とも書く、1865~1941年)*の採集品中に見いだしたのであった。検定した結果、トベラ属に属する新種と判明した。牧野がなかなか実物を見ることができなかったのも無理はなかろう。というのは、コヤスノキは兵庫県と岡山県に生育するという分布が限定された、珍しい植物であったからである。
関根雲停筆「ムカゴサイシン」(高知県立牧野植物園所蔵)
その後、明治40(1907)年になって、雑誌「科学世界」(第1巻第3号)に「本邦稀有植物の一なるコヤスノキ」を発表した。この記事には牧野が描画したと思われる図が掲載され、その図は「牧野日本植物図鑑」の改訂版(1950年)に利用されることになる。
さて、牧野が見たというコヤスノキの図のうち、「草木図説木部」というのは、…