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2022.11.15 08:30

「第2の受難、再びの確執」シン・マキノ伝【28】=第3部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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 前々回で述べたように、同郷の土方寧(やすし)が帝国大学の総長・浜尾新に牧野の窮状を救うべく掛け合ったことにより、「日本植物志図篇」の続きを自費ではなく大学で植物誌を出版するよう取り計ってくれることになった。そうなれば牧野が特別の仕事を担当するのだから給料も多く出せるであろうという浜尾の配慮からであり、また借金の整理のために土方のみならず同郷の田中光顕や矢野勢吉郎らが奔走して土佐出身の三菱の岩崎氏の助けにより借金を片付けることもできた。しかしながら、帝国大学理科大学植物学教室の教授・松村任三が、「植物学雑誌」にドシドシ研究成果を発表する牧野に対して少し自重するようにと言い、何かにつけて敵意を示すようになってきた。松村と牧野の専攻分野は同じ分類学であった。以上は自叙伝に書かれたことである。

 ここで再び、牧野富太郎が札幌の宮部金吾に宛てた手紙を取り上げたい。明治28(1895)年10月17日付の手紙である。この手紙には、上記のような松村との確執を補完するような内容が記される。

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