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2022.10.28 05:00

「高知で音楽のために狂奔」シン・マキノ伝【25】=第2部おわり= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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「トサノミツバツツジ」(牧野富太郎筆、明治25年4月)=高知県立牧野植物園所蔵

「トサノミツバツツジ」(牧野富太郎筆、明治25年4月)=高知県立牧野植物園所蔵

「雁行藻」(「牧野植物混混録 11号」より)=高知県立牧野植物園所蔵

「雁行藻」(「牧野植物混混録 11号」より)=高知県立牧野植物園所蔵

 帰郷した牧野は、高知の延命軒という宿屋に泊り、音楽の普及に熱心に取り組むことになる。ある日、新聞記者に誘われて、女性の先生の唱歌の練習を聴きに行った。その先生は、高知の女子師範学校に西洋音楽の教師として初赴任してきたのであるが、間違った拍子の取り方でほとんど音楽になっていなかった。当時の高知県の音楽は色を染める前の白い布のようであって、染め様によっていかにでも染まる時に、間違った音楽を教えられては大変だということで、校長に掛け合ったが何ともならなかった。そこで、高知県の教育上の音楽のため高知西洋音楽会を設立し、ピアノやオルガンを持つ協力者の家でその会を開くことにした。会には音楽愛好者が2、30人ほど集まった。「元来私は妙な性質で」と自身のことを述べる牧野は、ことごとく集めてしまわないと気が済まない性格から、出版されていた楽譜など音楽に関わる書物を入手して持っていたのであった。そして自ら音楽の先生となって軍歌・小学校の唱歌などを歌って、それにより参加者は初めて様々な音楽に接することができた。後に上京した時に、東京音楽学校長らに運動して、高知に優秀な音楽教師を送るように懇請したところ、収賄事件が起き校長以下の更迭となったので片が付いたということである。

 話はややさかのぼって以前のことになるが、佐川にオルガンを導入したのも牧野であった。佐川へオルガンが入ったのは…

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