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2022.10.26 05:00

「コオロギランを発見」シン・マキノ伝【23】=第2部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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コオロギラン(「日本植物志図篇」第1巻7集第43版)の着色図(高知県立牧野植物園蔵)

コオロギランの着色図(「日本植物志図篇」第1巻7集第43版、高知県立牧野植物園蔵)

 マキシモヴィッチの続きである。牧野がマキシモヴィッチに送った標本の点数は、数千にも及び、多くは四国で明治17(1884)年~明治23年に採集されたものである。また、明治20年に東大から送った標本のうちに、牧野の標本507点が含まれている。これらについて、牧野は標本に番号をつけリストを添えた。翌年、マキシモヴィッチは丁寧な内容の回答を送ってくれて、アサマリンドウ・ジョウロウホトトギスなどが新種とされた。中には、自分の名がついた「Sedum Makinoi Maxim.」(マルバマンネングサ)という学名があった。マキシモヴィッチより返事が来たのと同じ明治21年7月に郷里の友人林虎彦(高知の中等学校である海南学校の教師)に宛てた手紙の中で、マキシモヴィッチが命名した学名に「…生(筆者注:自分のこと)ノ名ガ付ケアリタル故ニ、鬼ノ首デモ取リタル様ニ大喜ビニテ申シ上ゲマス」と書かれていることから牧野は大喜びであった。ただし、ややこしい話であるが、牧野はマキシモヴィッチがつけたこの学名にタカネマンネングサの新和名をつけて「日本植物誌図篇」第1巻第2集第12版として発表したが、後に同巻第6集で「Sedum Makinoi Maxim.」はマルバマンネングサであると訂正した。

 また、高知県立牧野植物園には、…

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