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2022.10.13 05:00

シン・マキノ伝の第2部スタート 「幡多地域へ植物採集旅行」【10】 田中純子(牧野記念庭園学芸員) 

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若き日の牧野富太郎(高知県立牧野植物園所蔵)

若き日の牧野富太郎(高知県立牧野植物園所蔵)

 佐川へ戻った牧野は、高知県で植物採集を本格的に行うことを決め、明治14(1881)年8月に横倉山で採集した。翌9月には同県西南部に当たる幡多郡へ採集旅行に出掛けた。出発が同月9日、家に帰り着いたのは10月3日で、約1カ月の採集調査であった。

 牧野は、この採集旅行に関する詳細な記録を残した。行程を記した「幡郡紀行」、日程ごとに観察・採集した場所と植物名などを列記した「幡多郡採集草木図 解説」、植物の図を収めた「土佐幡多郡采収草木図帖」である。紀行は、漢語調の耳慣れない言葉が並ぶ重々しい文章である。解説は、植物名が並べられた一覧表に近いもので、そこに生の植物を採集したか、押し葉を作ったか、図があるかどうかなどの情報が書き込まれる。牧野が生涯強い関心を持つことになる方言の記入も見られる。また、海岸線などの簡単な地形図を描いてそこに地名や植物名を書き込んだものがあり、どこで何を採集したか、その場所の様子を図で示すという工夫が見られる。この解説編に対して、三つ目の図帖が図編である。旅行中に観察したハマセンダンやリンボクなどの植物が墨で描かれ、江戸時代の本草書に見られるように陰影を施さないものである。それらの姿はたおやかで初々しさが感じられる。後に見られるような詳細な部分図は伴わないが、輪郭線で植物の形状を丁寧に示している辺りは牧野の描画力を示すものである。

牧野富太郎筆「シマクロギ」(個人蔵)

牧野富太郎筆「シマクロギ」(個人蔵)

 旅行には地図を欠かすことができないが、牧野は幡多郡の地図を、7回目の記事で登場した黒岩恆(ひさし)より入手した。その地図の写しが、新聞などからの抜き書きをまとめた牧野の「結網漫録」に見出せる。そこには、「明治14年9月中旬采草ノタメ幡多郡巡遊ノトキ黒岩氏左ノ図ヲ道シルベトシテ送ラレタリ、他日参考ノタメ左ニ記載ス」とある。牧野が写した地図には、地形や道路に加えて地名や宿屋などの情報が記入される。また、練馬区立牧野記念庭園には「高知県幡多郡地図」という手書きの地図が…

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