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2022.10.02 08:40

人生は引き算だ―村を作りかえたごっくん男 馬路村農協前組合長 東谷望史物語(1)

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東谷望史さんと「ごっくん馬路村」。極限まで知恵を絞ってヒット商品を生み出した

東谷望史さんと「ごっくん馬路村」。極限まで知恵を絞ってヒット商品を生み出した

 1970(昭和45)年、高校3年生だった。南国市後免町のパチンコ店でパチンコ台に向かっていた。

 補導員が入ってきた。横に来てこう言った。

 「あんた、年いくつ?」
 「ジューハチ」
 「なにしゆ?」
 「ドカタやりゆう」
 「名前は?」
 「〇□△×」

 でたらめな名前を答えたが、そんなことは「相手もわかっちゅうわねえ」と笑う。幸い補導は免れた。

 安芸郡馬路村に生まれ、馬路中から田野町の県立中芸高校に進学した。が、嫌になって1年で退学する。大工になろうと思った。世話をしてくれる人が親方を構えてくれた後、考えた。

 「大工になるか、もう一回学校に行くかと考えて。学校に行こう、と」

 長岡郡大津村(現高知市)の民家に下宿し、私立高知中央高校に通った。1年からやり直したので、同級生は年下だった。

 下宿の隣が寮で、食事は寮でとった。寮の隣に剣道場があった。

 「食事に行くときに剣道の練習を見よったき、なんとなくやってみたくなって」

 剣道部に入った。

 「小学校のときに野山でチャンバラをやったイメージで入ったけんど…。剣道は違うた」

 当時の中央高剣道部は「そこそこ強かった」らしい。まじめに練習し、初段を取った。

 剣道は1年でやめ、パチンコにはまった。

 「大学に行くゆうて勉強しゆ組やなかったし。まあ、なんとなく楽しゅうやりゆう組やったき…」

 もともと一つのことにのめりこんだら徹底的にのめりこむタイプである。パチンコにのめりこんだ。

 高校を卒業するとき、先生から「ここにしいや、ここやったら入れる」と言われ、当時まだ勢いがあった高知スーパー(2006年廃業)に入る。パチンコは続けた。休日、朝10時から12時間打ち続けることもあった。食べるものもろくに食べずにパチンコを打った。

 パチンコをやめたのは馬路村農協に転職後。21歳のときだった。

 「ふっと『なんて無駄なことをしゆがやろう、人生もったいないな』と。人生の時間って70万時間とか80万時間やろう。パチンコ屋に1日座ったら12時間無駄になるわけやんか。『人生って時間の引き算やなあ』と思うて…」

 24時間×365日×80年で70万800時間。人生の残り時間を考えた青年は、パチンコに注いだ情熱を村の生き残りのために使い始める。消去法で見いだしたのがユズである。

 村の将来を託すのはユズしかない、と考えた青年はパチンコにかけた情熱の何倍もの熱量をユズに注ぎ、やがて馬路を日本一のユズの村にする。林業の村をユズの村に変えたのである。象徴ともいえるスーパー飲料、「ごっくん馬路村」が誕生するのは、パチンコをやめた15年後のことだった。

 ◇ 

 東谷望史さんは組合長まで務め、この3月に農協を引退しました。激務から解放された東谷さんに、これから週1度の割で人生を振り返ってもらいます。聞き取るのは私、依光隆明です。14年前まで高知新聞にいて、東谷さんが「ごっくん」を生み出す少し前には馬路村を取材エリアとする中芸支局長を務めていました。朝日新聞を経て、現在はフリーの記者です。

 東谷さんはたびたび「俺の人生らあ、記事にならんちや」と投げやりな言葉を吐くのですが、なかなかどうして奥深い。「ごっくん」が生まれた当時、馬路村の農業は土地なしカネなし人もなしという三重苦でした。その中で身もだえしながら活路を探したのが東谷さんです。彼の人生は、ひたむきに歩む大切さを教えてくれます。

高知のニュース 馬路村 ひと・人物 村を作りかえたごっくん男

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