2022.08.31 08:40
暮らしに溶け込む遺産 沈下橋(四万十川流域)―ニッポン橋ものがたり
四万十川に架かる半家橋と、夜空を流れる天の川。橋桁の裏や橋脚には何度も修繕された跡が見える(四万十市西土佐半家)
川が増水すると水面下に沈む橋なので「沈下橋」。高知県ではそう呼ばれるが、徳島県や三重県、大分県では「潜水橋」「沈み橋」などとも。沈んだ時に流木などが引っかかって壊れないよう、あえて欄干を設けていないのも特徴だ。
県西部を流れる全長196キロの1級河川、四万十川。本流に架かる約100本の橋のうち22本が沈下橋だ。県や流域5市町でつくる「四万十川総合保全機構」は、支流の26本を含めた48本の沈下橋を保存、維持の対象として指定。後世に引き継ぐ生活文化遺産として守っている。
最も下流部に架かる沈下橋、今成橋。休日には大勢の観光客が訪れる(四万十市佐田)
川の増水で沈みつつある今成橋。欄干やガードレールがないため、流木などは引っかからずに流れていく(四万十市佐田)
5月の大型連休。四万十市佐田の今成橋(通称・佐田沈下橋)は、風情ある景色を眺めに訪れた大勢の観光客でにぎわった。だが普段は、近くの住民が行き交う生活道。沈下橋はそんな二つの表情を持つ。
沈下橋が盛んに造られたのは高度経済成長期の1950~70年代。公益財団法人「四万十川財団」によると、山で切り出した木をトラックで運ぶようになり、川を渡る橋が求められた。だが、一般的な橋は経費も工期もかかる。そこで、安価かつ少ない材料で造ることができる沈下橋が各地で架けられた。
「ほとんど人力よのう。セメントを担いで流し込んだがは、よう覚えちょう」
そう懐かしむのは四万十市西土佐口屋内の山崎一郎さん(85)。52(昭和27)年、地元で屋内大橋(通称・口屋内沈下橋)の工事が始まり、3年後に完成。当時高校生だった山崎さんもアルバイトで度々働いた。「みんな、くわとかごを持って仕事しちょったよ」と笑う。
住民の足、路線バスも走る屋内大橋(四万十市西土佐口屋内)
地元民の手で架けられた沈下橋は、半世紀以上にわたって人々の暮らしに寄り添ってきた。35(昭和10)年に完成した現存する流域最古の沈下橋、高岡郡四万十町米奥の一斗俵沈下橋は今も住民の散歩道。近くの小学校に通う子どもの遊び場であり、川や橋について学ぶ場でもある。
四万十川に現存する最古の沈下橋、一斗俵沈下橋。近くの小学校は学習の場としても積極的に活用する(四万十町米奥)
四万十市西土佐半家の半家橋(通称・半家沈下橋)は、秋祭りで四国西南部に伝わる魔よけの「牛鬼」が練り歩く。住民は毎月、祭りで披露する踊りの稽古で近くの神社に集う。「終わった後、みんなで飲むのが楽しみ」という田辺文彦さん(51)は酒席の後、満天の星を眺めながら近所の人と橋を歩いて帰るのが常だ。
沈下橋のある河原は絶好のカヌー発着場。色とりどりのカヌーが浮かぶ(四万十市勝間)
そんな沈下橋も近年、経年劣化で橋脚の腐食や橋桁の流失などが目立ってきた。同市西土佐岩間の岩間大橋(通称・岩間沈下橋)は2017年、一部の橋脚が腐食して沈み、路面がV字に曲がった。
折れた橋桁の代わりに新たな橋桁が設置される岩間大橋。修繕を重ね、沈下橋は次代に受け継がれる(2020年2月、四万十市西土佐岩間)
「寂しかった。橋がかわいそうでね」。近くの休憩所「四万十茶屋」の責任者、今城千恵さん(63)は当時を振り返る。近隣の住民らはチャリティーTシャツを売るなどして復旧への支援金を集め、市に寄付した。念願かなって昨春、3年半ぶりに通行が再開した。
「橋もうれしいんやないかな。山と川と橋があって、ここの景色が好きなんです」
今城さんは復旧前も後も、通勤のためにほぼ毎日、橋を渡る。四万十川の原風景となった沈下橋は、これからも流域の営みを支え続ける。
文・河本真澄
写真・佐藤邦昭
【メモ】
四万十川流域に現存する沈下橋は、老朽化などで、全面通行止めや歩行者のみ通行可といった規制がある橋も多い。橋脚構造は2種類に大別され、上流部は鉄筋コンクリート製で、水の流れに負けないよう橋脚自体が重い。川底が砂地の下流部では、鋼管を地中深くの岩盤まで打ち込んで固定。四万十市勝間の沈下橋は全長約20メートルの鋼管を使い、一部にモルタルを注入して補強している。