2024年 05月04日(土)

現在
6時間後

こんにちはゲスト様

2022.07.17 08:42

あることが当たり前の橋 「画期的」から「日常」に―浦戸大橋50歳(5=終)

SHARE

50歳を迎えた浦戸大橋。高知市の東と西をつなぎ、車が行き交う

50歳を迎えた浦戸大橋。高知市の東と西をつなぎ、車が行き交う


 浦戸大橋を渡っていると、青い海や浦戸湾沿岸の街並みなどの景色とともに、両側の高いフェンスが目に入ってくる。「できたばかりのころは低い欄干しかなくて。夜中にドーンという音を何度も聞いた」。橋のたもとで暮らす80代の女性が海を見ながら話す。

 「自殺の名所」。開通当初の浦戸大橋関連の本紙記事には、暗いイメージを抱かせる言葉が何度も記されている。当時の欄干は女性の胸の高さくらいしかなく、身を乗り出しやすかった。投身自殺者は1年間で16人に上り、橋で供養祭が行われる事態に陥っていた。

 日本道路公団は1年後、欄干から海側にせり出す形で、有刺鉄線付きの金網を取り付けた。だが、自殺者は後を絶たなかった。1984年には「忍び返し」を付けたフェンスを設置。高さ3メートルのフェンスが両側に並ぶ今の構造となり、自殺者は急減した。

 ■ ■ 

 浦戸大橋は南海地震に対して強度に不安がある―。2003年には、そんなショッキングな話が浮上した。

 地元種崎の住民らでつくる津波防災検討会が、高知大の岡村真教授(現・名誉教授)と危険箇所を点検した際に、指摘されたのだ。

 阪神大震災で倒壊した高速道路の高架橋のようになるのか。住民に不安が募った。「当時はまだ、津波避難タワーがなくて、いざとなったら浦戸大橋に逃げようという人もいた。本当にショックだった」。同検討会副会長の岡林一彦さん(74)が振り返る。

 県は11年度から約28億円を投じ、橋の耐震化を進めた。橋脚を鉄筋コンクリートで固めて太くし、橋脚と橋桁をチェーンで固定。橋桁の下に炭素繊維シートを張り付けて強度を高めた。

 県道路課は「耐震化によって地震による損傷は限定的となり、機能回復がすぐにできる」と説明。津波に対しても「橋が壊れるのは橋桁に波がかかる時。最大想定の津波が来ても、あの橋の高さなら大丈夫」とする。

 浦戸大橋は現在、災害時に救助や救援物資の車が通行する緊急輸送道路になっている。「地震に強い橋が近くにあるのは心強い。よう補強してくれた」と岡林さん。「命の道」としての役割に期待を込めた。

 ■ ■ 

 12日午後3時。浦戸大橋は開通から50年を迎えた。現地に赴いたが、セレモニーなどは行われていなかった。お祝いと言えば、半世紀前に開通一番乗りを果たした浜田御酒男(みきお)さん(74)が「祝 開通50周年」というのぼり旗を掲げ、電動車いすで橋を渡っていたくらいだった。

 いつも通勤で橋を渡っている近くの男性(23)に声をかけた。「今日で50年? そんな前からあったがですか? あることが当たり前やった」と目を丸くしていた。50年前に「画期的」「世界一」と言われた橋は、人々の日常にすっかり溶け込んでいた。

 橋に目をやると、車やトラック、バスが行き交っていた。いつもの光景だった。薄雲の間から日が差し込んだ。輝いて、どこか誇らしげに見えた。(報道部・村上和陽)

 =おわり

高知のニュース 高知市 道路・交通 施設・建築・開発

注目の記事

アクセスランキング

  • 24時間

  • 1週間

  • 1ヶ月