2022.06.18 08:35
海風受けて草を食む―[音土景] 音感じる土佐の風景(18)
牛も木陰に入ればいいのに。そう思いつつ来たが、着いて納得した。香長平野と太平洋の大パノラマ。海風が吹き上げ、汗がすっと引いていく。
ふかふかの芝に腰を下ろすと、背後からすりこぎをするような音が聞こえてきた。振り返るとつぶらな瞳と目が合った。草を食(は)む牛の、温かな鼻息が顔にかかった。
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山の急傾斜地で牛を放牧する「山地(やまち)酪農」。高知市円行寺の酪農家、故岡崎正英(まさふさ)さん(1914~84年)が56年から取り組み、日本で初めてホルスタインの放牧に成功した。
牛は朝晩の搾乳以外、一年を通して山で過ごす。餌は干し草や飼料も与えられるが、基本は植栽した日本芝(野芝)や野草。牛が食べ歩くことが刈り込みや耕運になり、ふんが肥料になる。牛が自ら牧場管理を行ってくれるわけだ。
乳量は、栄養素が計算された飼料で育てられる牛の半分程度。乳成分の安定も難しい。ただ生産コストが低いこともあって「経営はなんとか“持続可能”かな」(斉藤さん)。
県によると県内では43戸の酪農家が3142頭の乳牛を飼っているが、山地酪農は広い土地と初期整備が必要なこともあり、県内では2カ所だけという。
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斉藤さんの牧場は、平野部で飼育していた父の陽一さん(87)が「自然の中で牛の本能を引き出したい」と68年に始めた。道を付けて山を開墾。芝を植えて、牛を山に上げた。現在は25ヘクタールで約30頭を放牧している。
「ほいほーい、ほーい!」
夕方。斉藤さんが鈴を鳴らし、山に向かって声を上げると、のっしのっしと牛たちが集まってきた。
迷うことなく搾乳舎に入ると、斉藤さんが乳房を優しく拭き上げ搾乳機を付ける。
「搾る前は大きく張って、搾れば小さくしぼむ。いいおちち」とほほえんだ斉藤さん。
「ほいほーい!」の声に送られ、搾乳が終わった牛は夕闇が迫る放牧地に整然と帰っていった。(佐藤邦昭)