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2003.10.23 08:00

『海の街「その時」点検 須崎市の防災』(1)父に抱えられて

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 昭和21年の南海地震の激震と津波によって破壊された須崎市原町周辺の家々

 昭和21年の南海地震の激震と津波によって破壊された須崎市原町周辺の家々

 昭和二十一年十二月二十一日の夜明け前。須崎市原町に住んでいた市川義夫さん(67)=同市浜町一丁目=は体が転がるような感覚で目覚めた。いや、布団の上で本当に転がっていた。当時、十歳の少年だった。

 ▼「津波が来る!」

 昭和南海地震。「一瞬にして阿鼻(あび)叫喚の地獄となった。電灯は消えて大きくゆれ、棚の器物ガラガラ落ち、あちこちに我(わ)が子、我が親を呼び合う叫び声、家の倒れる轟音(ごうおん)―」(須崎市史、原文のまま)。

 市川さんはそれらをあまり覚えていない。揺れが収まり、外に出ると、南の方から「津波が来る!」という大きな声が聞こえた。

  やっと人影が確認できる暗闇の中を、父母、姉と一家四人で左右に家が立ち並ぶ路地を北へ逃げた。が、百メートルも行かないうち、「ドー!」という音とともに思いもよらず、前方から水が襲ってきた。

 ▼目の前で女性が…

 少年のすねの高さほどの黒い急流。流れに足を取られ、前のめりになった市川さんは父親にがっと持ち上げられ、そのままそばの民家に連れ入れられた。振り返った時、母と姉の姿はなかった。

 逃げ込んだ家の二階から向かいを見た。木にしがみついた女性が「助けて!」と叫んでいた。どうすることもできなかった。見る見るうちに水かさが増し、女性の姿は消えた。

 「波は南の海岸の方から来るものと思って北へ逃げたんです。だから、原町の人間はだいぶ死んだ」(市川さん)。

 三つ上の姉は、その日のうちに近所の民家の間で、母親の遺体は約一週間後、一キロほど離れた池に揚がった。

 市川さんの肉親をはじめ、この地震による市内の死者・行方不明者は六十一人を数えた。それから半世紀余りがたった。

    □   □

 高速道の延伸や鍋焼きラーメンブームなどを追い風に活気ある街づくりが進む須崎市で、三十日から「第十回移動高知新聞 ふれあい高新in須崎」が開かれる。

 過去、大地震や津波の被害を受けてきた同市にとって、地域づくりの中に「防災」があり、防災対策の中に地域づくりがある。海辺の街を歩きながら、やがて必ず来る「その時」を考える。(須崎支局・古井永伍)

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