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2021.12.12 08:30

やまさき×黒笹・釣りバカ対談in高知(中)「映画に影響受けた」

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 「釣りバカ日誌」と言えば、実写版の映画も大人気を博した。漫画の原作者、やまさき十三さん(80)と初代担当編集者の黒笹慈幾(やすし)さん(71)の対談は、映画化のきっかけや漫画との関係に進んだ。

 黒笹「僕は絡んでいませんが、映画化の話が来た時、やまさきさんや編集部の反応はどうだったんですか?」

 やまさき「映画ってパワーがあるから、安易にやると漫画まで引き込んでしまう。駄目な場合も、いい場合もね。東宝や松竹などから打診があったけど、編集長の要求が厳しかったね。(脚本を手掛けた)山田洋次監督が、あきらめかけたぐらい。作品を大事にしてもらった」

 黒笹「映画化をどんな思いで見ていた?」

 やまさき「心配だった。共倒れになる可能性もあるわけだから。でもその逆になった。僕自身、三国連太郎さんと西田敏之さんの掛け合いのシンプルさみたいなものを、漫画の中にいただいた。スーさんは年長だし社長だから、初期の漫画ではハマちゃんが丁寧語を使っていた。でも、映画によって『あ、ここまで砕けていいんだ』と。2人の芝居にいっぱい影響を受けた」

 黒笹「僕も、ハマちゃんのモデルと言っていただいて『モデルだけど腹踊りはできません』なんて言うとウケますね。あれは西田さんの独創。やっぱり2人が、釣りバカのイメージを加速させた」

「やった!」。原作者が釣り、編集者がすくう。今も「釣りバカ」な二人(宿毛湾)

「やった!」。原作者が釣り、編集者がすくう。今も「釣りバカ」な二人(宿毛湾)

 やまさき「三国さんはシリーズ作には出ないという人だった。毎回、これっきり、と。でも『あ、スーさんだ』って言われるようになって、出ないとは言わなくなったんですって。うれしかったみたい。寅さん以降の、日本のエンタメ映画を持続するという使命も感じていたらしい」

 黒笹「やまさきさんは、自ら脚本、監督で『あさひるばん』(2013)という映画を作りましたよね」

 やまさき「私は東映の助監督出身。故郷の宮崎を舞台に、自分の青春編みたいな感じで撮った。まあまあの作品だけど、興行的にはこけてしまってね」

 黒笹「黒潮町でも、上林暁の映画を作りたいという話があるそうです。映画を作る楽しさとは?」

 やまさき「映画にはパワーが必要。私の場合、友人や宮崎県が協力してくれた。応援する側も、作る側も、映画のために集まった人(のパワー)が一つの作品に集約していくエネルギーはすごいよ」

 黒笹「俳優の移動などは、釣り仲間の全日空の会長が協力してくれたらしいですね。釣りって役に立つね」

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