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2021.11.07 08:40

海洋堂ホビーランド開設、宮脇館長の夢が現実に 大阪・門真市 海洋堂57年の歩み凝縮

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米国の著名造形作家から贈られた恐竜ヘッド。宮脇修館長も会心の展示だ(大阪府門真市の海洋堂ホビーランド)

米国の著名造形作家から贈られた恐竜ヘッド。宮脇修館長も会心の展示だ(大阪府門真市の海洋堂ホビーランド)


 海洋堂・宮脇修館長(93)の宿願だった「海洋堂ホビーランド」が今夏、大阪府門真市で完成した。宮脇館長にとってのホビーとは、すなわち「ものづくり」「手の技」。そして、あらゆるものが造形物になる。アニメの登場人物、怪獣、乗り物、身近な動物…。小さくて緻密で心をくすぐるものたちを並べた「ホビーの殿堂」には、海洋堂57年の歩みが凝縮されている。

 宮脇修さんが大阪府守口市に小さな模型販売店を開いたのは1964年春。店舗面積わずか1坪半からのスタートだった。

 来店する子どもたちと交流を深めながら、宮脇さんは繰り返し語った。

 「おっちゃんは今でこそ、ちっぽけなプラモ屋や。だけどいつか、でっかいホビーランドをつくったるからな!」

 ランドの具体像は描けていなかったが、事業を発展させる中で、開設は「ホビー人の務め」と確信するようになった。

 ◇ 

 海洋堂のミュージアム施設は2005年の「フィギュアミュージアム 黒壁龍遊館」を皮切りに、高岡郡四万十町に「ホビー館四万十」「かっぱ館」が整備された。それぞれが「フィギュア」「かっぱ」などのテーマに特化している。

 「ホビーを網羅した殿堂」は、今回が初。新施設は、大阪府門真市の「イズミヤ門真店」3階フロアに入居。京阪電車、大阪モノレールの「門真市駅」に隣接する好立地だ。

 約600坪の内部は「館長の部屋」「1坪半の旧店舗」「プラモの山」「直営ショップ」など14区画に分割した。

海洋堂ホビーランドの展示。(右上から時計回りに)壁に描かれた車両は1970年代、宮脇館長がハンドルを握ったハイエース▽帆船のプラモデル完成品が爆発的に売れ、「帆船の海洋堂」で知られた時代も▽過去に出回ったプラモデル商品。膨大なコレクションの一部にすぎない▽自社のフィギュアを活用したジオラマ。表現の可能性は無限だ

海洋堂ホビーランドの展示。(右上から時計回りに)壁に描かれた車両は1970年代、宮脇館長がハンドルを握ったハイエース▽帆船のプラモデル完成品が爆発的に売れ、「帆船の海洋堂」で知られた時代も▽過去に出回ったプラモデル商品。膨大なコレクションの一部にすぎない▽自社のフィギュアを活用したジオラマ。表現の可能性は無限だ


 展示された「お宝」の一つが、世界初のプラモデル商品とされる英国製品(1940年)。プラモ産業は第2次世界大戦後の米国で一気に花開き、大型の帆船モデルなどが次々と発売された。

 フィギュアを含む一連の展示からは、各国の企業・愛好家が時代ごとに新技術を取り入れ、互いに影響を及ぼしながら、立体表現に挑んだ歴史がよく分かる。

 その流れの中で、海洋堂が果たした特異な役割も浮かび上がる。

 ◇ 

 宮脇館長はランドのオープンから間もない今年8月、高知滞在中に心臓の異常が判明した。「地獄の門まで見てやろう。どっかにすき間はないか?」と大阪でカテーテル手術に臨み、約3週間入院した。

 術後、体重を大きく減らしたが、その後は順調に回復。ランドを訪れては、入館した老若男女との対話を楽しんでいる。

 「恐竜の前で、子どもたちが本当に楽しそうな顔してる。これは、なかなかない。時代はどんどん変わるけど、人間は変わらんな。子どもたちが本質を取り戻す場になれば、うれしい」

 これで肩の荷が下りたかと思いきや…。

 「まだうまく表現できてない。江戸期のものづくりは、日本におけるホビーの原点やと思う。そこもまだ展示しきれてない。もっともっと充実させる。目標が高い?というより(構想が)どんどん膨らんでいくねん」

 同ランド担当者によるとオープン当初は、コロナ禍を受けて来場者数が低迷。感染が下火になった秋以降、学校単位での来場も目立つようになった。来年以降は訪日外国人らのにぎわいにも期待している。


2年前に構想急展開 駅隣接施設見て「ここや」
宮脇修一専務

宮脇修一専務

 「ホビーランド」実現の直接のきっかけは、2年前にさかのぼる。

 台湾で開かれたホビー関連イベントに、海洋堂が出展。これに同行した宮脇修館長は、台湾に住む旧友の案内で国立故宮博物院を訪れた。清朝が残した美術品など約70万点を収蔵する、世界屈指の博物館だ。

 展示された至宝の数々を見て、宮脇館長の「スイッチ」が入った。

 「せや! 俺はホビーの、本当の殿堂をつくらな、あかん」

 帰国後すぐ、本社の食堂に社員たちを集めて告げた。

 「この建物をホビーランドにする。だから皆、出て行ってくれ」

 息子の修一専務(64)は、これをどう受け止めたのか。

 「そらもう、びっくりしましたけど。館長がそう言うなら、しゃあない。これまでもそう。いっつもの館長ですから」

 メインの社屋を展示施設に大改装するレイアウトに着手した。そのタイミングで、空き施設だったイズミヤ門真店3階フロアの活用を打診された。本社にほど近く、門真市駅に隣接している。

 倉庫などに使えないか検討することになった。フロアに足を踏み入れた宮脇館長が即決した。

 「ずーんと600坪。広いやん。これほどいい場所は、めったにあれへん。こら倉庫なんかやってられん。ホビーランドは、ここや!」

 決断と行動力は、57年前の創業当時から変わらない。夢を描けば一直線―。

 海洋堂の歴史にまた一つ、館長を主人公とする「筋書きのないドラマ」が加えられた。


恐竜ヘッド街へ 驚きと笑顔 本社から移設時巡回
撤去間近の恐竜ヘッド2体。本社屋上で20年近く、道行く人々を楽しませてきた(海洋堂提供)

撤去間近の恐竜ヘッド2体。本社屋上で20年近く、道行く人々を楽しませてきた(海洋堂提供)

 ホビーランドの目玉の一つが、恐竜2体(ティラノサウルスとトリケラトプス)の巨大な頭部。舌の血管までリアルに浮かび上がっている。

 米国の著名造形作家、クリス・ウェイラス氏の作品。1994年、「友情の証し」として宮脇修館長に贈られた。

 感激した宮脇館長は、この2体を門真市の本社屋上に設置。以来、恐竜ヘッドは門真名物として人々に親しまれてきた。

 ランドへの移設に当たって昨年、この2体を屋上から下ろし、トラックの荷台に載せた。折しも年末。

 「現場にそのまま搬送するのでは面白みに欠ける。大阪の皆さんへのクリスマスプレゼントに」

 ティラノサウルスを載せたトラックが御堂筋などを巡回。コロナ禍で沈む街に、驚きと笑顔が広がった。

屋上から撤去された恐竜ヘッドが、クリスマスの大阪市街を巡回(海洋堂提供)

屋上から撤去された恐竜ヘッドが、クリスマスの大阪市街を巡回(海洋堂提供)


 ランド内ではこれら2体を間近に眺められるだけでなく、じかに触ることもできる。

 今回の展示のために塗装し直し、海洋堂屈指の造形師が仕上げを手掛けた。巨大でありながら緻密―。造形の美と、彩色の美の見事な融合を堪能できる。


宮脇修館長と海洋堂の歩み
 宮脇館長は1928年、高知市生まれ。15歳で旧満州の南満州鉄道に入社。日本の敗戦とともに引き揚げてからはカツオ一本釣り漁師、役所のごみ収集員など30以上の職を転々とする。

 64年、大阪府守口市で小さなプラモデル販売店「海洋堂」を開業。資金はわずか7万円だった。公民館を借りて顧客のプラモデル作品コンクール・展示会を開くなど、「業界初」「日本初」の試みを次々と展開して成長する。

 海洋堂は84年、模型販売業からフィギュア制作メーカーに移行。99年には「日本の動物コレクション」をおまけとして入れた「チョコエッグ」が大ヒットした。

 一人一人の造形師の個性や表現を重視。細部にもこだわりを貫く商品群は、フィギュアが大衆の間に浸透し、一つの「文化」として成長することに貢献した。

 海洋堂ホビーランドは門真市新橋町3の1の101 イズミヤ門真店3階。入場料は大人千円、小学生500円。問い合わせは同ランド(06・4397・7100)へ。(福田仁)

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