2021.09.06 08:39
藤原大輔、人生凝縮の銅メダル 世界一と互角「立位」に誇り 東京パラ・バドミントン
銅メダルを決め、日の丸を持ってスタンドの日本選手団に手を振る藤原と杉野(国立代々木競技場=佐藤邦昭撮影)
「一生の思い出」
表彰台に上った藤原は、銅メダルを掲げて周囲を見回した。「昨日は(シングルスの3位決定戦で)負けてしまったので、今日はどうしても台に上りたかった。メダルを取ることができて、一生の思い出になる」。東京パラリンピックを締めくくる銅メダル。日本代表の有終の美を飾り、藤原の5日間が終わった。
生後1カ月で、感染症のため左脚を切断した。障害の程度で言えば、車いすのクラスに参加する選手の方が多い。今大会でも、立位のシングルスで準決勝に駒を進めた男子選手のうち、義足だったのは藤原だけだ。
それ故、車いすへの転向を勧められたこともある。しかし藤原は立位にこだわった。それは、「僕にとっては、この脚で立ってやるのが当たり前」だから。
小学3年生の頃から打ち込んできたバドミントン。「ここまで続けさせてくれた恩師の方たちがいて、今までやってきた形でメダルを取るっていうのが恩返しになると思っている」。アスリートとしてのアイデンティティーを示す舞台。それが、この東京パラ大会だった。
混合ダブルスの3位決定戦は、まさしく藤原の競技人生を凝縮したような試合だった。世界屈指のラリー力をベースに粘り強く戦いながらも、常にポイントを狙って前に出続け、鋭く、力強いスマッシュをストレート、クロスにずばずば決める。対戦したペアの男子選手はシングルスの金メダリストだったが、その実力者と比べてもまったく遜色のないプレーを見せ続けた。
メダルが確定した瞬間、ラケットを取り落とし、涙を流した。それは「張り詰めていたものが一気に解放されて、力が抜けた」から。「パラバドにも義足で戦う選手がいるんだぞってことを知ってもらえたんだったらうれしい」。ずっと胸に秘めていた願いをかなえることができたから。
藤原大輔の名前を日本中に刻んで、東京パラは幕を閉じた。(井上真一)