2021.08.31 08:38
「家族新聞70年」ギネス申請 高知市の松本さん一族、編集長100歳記念号発刊
編集長の松本健夫さん=中央=を執筆メンバーで囲む。おいっ子の孫の女の子=手前=らが手にする「百歳記念号」(写真はいずれも高知市一宮中町の松本さん宅)
マスコットは南方戦線のラバウルから安芸郡和食村(現芸西村)へ帰還し、地域の川柳誌を発行していた健夫さんが「拾った命。好きなことをしてみたい」と、1949年8月に兄弟姉妹や母親、妻らと作り始めた。
高知市のほか四万十市、香川、岡山、大阪、北海道など各地の親族や子や孫にも広がり、年数回のペースで休まず発刊。50人以上が日々の出来事や文芸作品、漫画、コラムなどを思い思いに書き、健夫さんの家で冊子に編集。戦後の創刊号から2018年6月まで154号を作った。
「世界で一番長く続いた家族新聞ではないか」と考えた親族の1人はこの6月、英国のギネス・ワールド・レコーズ社に申請。先ごろ同社から、申請の登録が済んだことと、これから正式審査に入る旨の書面が届いた。
編集長の健夫さんは4月で100歳になり、妻の幸恵さん(92)と自宅で元気に過ごす。「もしギネスに認められたらびっくりじゃ。戦争から生きて帰って、こんなに続くと思わなかった」
家族新聞の原点にあるのは草創期のメンバーが共有する戦争体験だ。兄と編集を担った松本紀郎(みちお)さん(92)=高知市東秦泉寺=は「今読み返すと、戦争を振り返る貴重な記録も多い。満州から奇跡的に生きて帰れた乳飲み子たちは、その後大きくなり、マスコットの書き手にもなった。みなの成長、近況を知る便りの場であり、自分を飾らずに出せる場でした」。
記念号は週刊誌サイズで90ページ。100歳を祝う集まりをコロナ禍で持てず、「一番喜ぶ家族新聞を久しぶりに作ろう」と一決した。
小学4年生、大学生から100歳まで25人が寄稿。わが子を巡る爆笑記、母となった日の神秘体験や会社員時代の秘録、ライトな近況報告、時事コラム、戦争や戦後の随想など多種多様の記事を満載。紀郎さんらが編集し、40部を作った。
健夫さんは「見てオッと驚いたよ。ようできてます」とさわやかに笑った。(石井研)