2021.06.01 08:00
【トイレ制限訴訟】共生へ疑問が残る判決だ
全国の自治体で同性カップルを公認する「同性パートナーシップ制度」の導入も広がり、性の多様性を尊重し共生を目指す機運が高まっている。判決はそうした流れに水を差す形となった。
職員は専門医から性同一性障害と診断され、私生活は女性として暮らしていた。2010年には同僚への説明会を経て女性の容姿で勤務を始めたものの、勤務するフロアと上下1階ずつの女性用トイレは使用が制限されてきた。
裁判では、性別適合手術を受けているかどうかが大きなポイントになった。04年施行の性同一性障害特例法が、手術など一定の要件を満たした場合に、戸籍上の性別を変更できると規定しているからだ。
国は、職員が健康上の理由で手術を受けていないことを根拠に、使用制限の合理性を強調した。
これに対し、一審は「自認する性別に即した社会生活を送ることは重要な法的利益」と指摘した。
ほかの女性への配慮は必要としつつ、職員が性的な危害を加える可能性は低く、社会生活でも女性として認識される度合いが高いと判断。トイレの使用制限は正当化できないと結論づけていた。
控訴審判決も同じく、自認する性別での社会生活は「法律上保護された利益」とした。なぜ導かれる結論が正反対になったのか。
東京高裁は、経産省が「全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任」を負うとし、トイレの使用制限は「関係者との対話と調整を通じて処遇を決めており、原告も納得して受け入れた」とする。しかしそうであるなら訴訟にはなっていまい。一審と比べ、当事者の職場環境が精査できているのか疑問符が付く。
職場全体のバランスを考えた判決とは言えようが、多数者を重視するあまり、少数者の生きづらさを過小に評価していないか。職員は女性の姿での出勤が認められるために職場で告白し、トイレのたびに階段を上り下りしている。苦痛は日々積み重なっていこう。
判決は「事業主の判断で先進的な取り組みがしやすい民間企業とは事情が異なる」とも指摘する。むしろ逆だろう。省庁こそモデルとなるよう率先して対応すべきではないか。
そもそも、特例法が性別変更の要件とする性別適合手術は、健康面はもちろん経済的な負担も大きい。手術を受けない選択も認められるべきで、要件の妥当性も見直す時期に来ているのではないか。
性別は人格権と分けて考えることはできない。性の多様性は個性の一部だ。個性を尊重し共生できる社会へ、法整備を含めて課題は山積している。社会的な議論をより加速する必要がある。