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2021.04.20 08:25

書家と碑文(66)浜田尚川 信念 堂々と

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「浦戸城」(高知市浦戸)
 剛直、強靱(きょうじん)、孤高、貴賓、快活、光輝…。浜田尚川の書作は、それぞれに姿が違う。これこそ尚川が欠かすことなく続けている臨書のたまものと言っていい。

 尚川の書の原点は小学校に入った時、黒板に書く先生の字が上手なのを見て「自分も」と思うようになったことだという。1947年、尚川は「君は字もうまい。先生にならんか」という担任の勧めで高知師範学校予科へ進む。そこで尚川は人生を決める師、川崎白雲と出会う。白雲は放課後のクラブ活動で生徒に臨書を徹底的に教えた。そこには白雲の「書は線が命だ。線を磨いていかなければならない」との思いがあった。

 尚川は「先生が書いているのを見たり、臨書に加え創作をしたりする毎日が楽しくて仕方なかった」と振り返る。そこには尚川の「これと決めたら最後まで何が何でもやり遂げる」という性格があったからだろう。だからおのずと技量も上がり、4年の時に全関西学生書芸展覧会で大阪市長賞を受けるなど優れた成績を収める。

 高知大学に入ると松岡雲峰の下、書道部を作って臨書と創作にまい進する。さらに伊藤神谷にも師事し、自らの書芸術の道を広げていく。県展には4回生の54年、第8回展に初出品し初入選。そして手島右卿審査の67年21回展で初特選。80年の34回展で3度目の特選となり無鑑査になる。

 大学卒業後は小学校の教壇に立ち、子どもたちと書を通して喜怒哀楽を分かちあった。そして自らは作家、吉川英治の「我以外皆我師」を座右の銘として白隠禅師、副島蒼海(種臣)らの心に残る書を研究し続けた。もちろん日課の臨書とともに。

 高知市浦戸の県立坂本龍馬記念館近くに尚川が揮毫(きごう)した「浦戸城」(95年)がある。堂々、そして信念が伝わってくる書からは長宗我部元親の姿が感じられる。

 このほか五台山にある浜口雄幸像脇にある生涯を記した碑文も尚川による。こちらは政治家として命懸けで闘った雄幸の気持ちを強い書線に込めて書いている。

 =敬称略(池添正)

 はまだ・しょうせん(本名・一郎、1932年~)いの町小川生まれ。高知師範学校予科に入り、川崎白雲に書道の指導を受ける。高知大学で松岡雲峰に師事。さらに伊藤神谷を師と仰ぐ。学生時代から県内外の書展で上位入賞。県展は21、31、34回展で特選となり無鑑査。県展大賞、毎日書道展会員賞。毎日書道会参与、書道芸術院参与。橋雅会代表。


「浜口雄幸の碑文」(2000年)高知市五台山 ※浜口雄幸の生涯を記した文章が刻まれている

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