2021.06.07 08:45
高知生コン事件50年 歴史に残る「公害裁判」...傷つきながら故郷守る 市民が紡いだ叙事詩
1971(昭和46)年6月9日、午前4時半ごろ。高知市内のパルプ工場排水管に、「浦戸湾を守る会」の4人が生コンクリートを流し込んだ。事件を機に工場は閉鎖に追い込まれ、「死の海」に魚が戻った。この「高知生コン事件」から50年の節目を2日後に迎える。市民が織りなした、壮大な叙事詩を振り返ってみよう。(編集委員・福田仁)
《勧進橋から》
3枚の写真は、いずれも高知市西町の「勧進橋」から、東の江ノ口川を望んだものだ。
撮影時期は上から1963年、71年ごろ、そして現在。
上のモノクロ写真が撮影されたのは、高知生コン事件の8年前。江ノ口川は写真左手で逆「く」の字型に折れ曲がり、奥へと流れていく。この勧進橋の下で、旭川が合流している。
高知パルプ工業の廃液はこの西方、約500メートルで専用排水管から旭川に放出された。つまり工場が旭川に注ぎ込んだ廃液が、この勧進橋の下で江ノ口川に合流した。…