2016.05.18 08:20

奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(3)「ホッツ床」求めて転院

退院直前に助産師さんと。理恵さん(左)自身も看護師だったので反射的に笑顔をつくっているが、心の中は泣いていたという(高知赤十字病院、理恵さん提供)=コラージュ
退院直前に助産師さんと。理恵さん(左)自身も看護師だったので反射的に笑顔をつくっているが、心の中は泣いていたという(高知赤十字病院、理恵さん提供)=コラージュ
 2005年1月末。第3子誕生が全盲で多発奇形だったことから、罪悪感に打ちひしがれた山崎理恵さん(当時37歳)。ベッドの中で憔悴(しょうすい)しきっている姿を見かねた高知赤十字病院の助産師が声を掛けた。

 「お母さん、前へ向いて行けるために、悩み事の順位を付けましょう。一番つらいのは何? 教えて。そこから解決していきましょうね」

 「一番は目が見えないこと。どうやって育てればいいのか分かりません」

 翌日から助産師は積極的に病室へ顔を出し、悩みや、たあいのない話に耳を傾けてくれた。その寄り添う姿勢に気持ちを救われた理恵さんはようやく、わが子のために母乳を搾り始めた。

 新生児室は面会者が廊下からのぞけるようにガラス張り。その向こうに小さなベッドが並んでいる。ただ、わが子・音十愛だけが奥の方に離れていた。「配慮なんでしょうけどね。それがまた、すごくつらくて」

 生後20日ごろから母子ともに同室での入院生活が始まり、面会の家族も間近で会えるようになった。5歳の兄と3歳の姉は「ちっちゃい」「かわいい」と大はしゃぎ。「くっついてベッドから降りないんですよ。音十愛はホント小さくて、枕の上に乗ってたんです。どこにいるのか分からないぐらい。泣き声も子猫程度で」

 気持ちはどん底だったが、病院生活は“快適”だった。

 「家に帰って環境が変わるのが怖かったんです。病院だと、おむつ交換以外は看護師さんが全部やってくれるじゃないですか。守られていた。家だと私1人で何もかも。上2人の育児もある。できるかどうか、全く自信がなかったんです」

 だが、そうもいかない事情があった。口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)の問題だ。上唇が割れ、口腔(こうくう)の“天井”がきちんと閉じてない。見た目もつらいし、ミルクも口からうまく飲めなかった。

 目が見えないことによる育児不安は、高知県立盲学校に乳幼児向け相談学級があることを知り一安心したが、唇の形成手術は一般的には生後3カ月、体重5キロが目安。口蓋の手術は言葉を覚え始める1歳半すぎ、10キロあたりになる。施術は一般的には形成外科。それは高知日赤にもあったのだが、問題はその前段となる口腔外科。「ホッツ床(しょう)」というマウスピースのような装具を作り、口腔と鼻腔をしっかり分けて、ほ乳をしやすくするとともに、上あごの発育を支援するのだが、口腔外科は赤十字病院にはなかった。

 身近な所であるのは高知大医学部付属病院か開院直後の高知医療センター。どちらかへの転院が必要だ。

 「医療センターなら家から近い。病院を抜けて家の用事もできる」と思った理恵さん。生まれてちょうど2カ月の3月25日、転院。再出発を図ったが、そこから嵐の日々が始まった。

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