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2024.05.22 07:00

【3分間の聴・読・観!(22)】橋本治はまだ近くにいる―細部に理解の種  忘却から生き延びるために―森村泰昌の芸術論

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 橋本治(2009年撮影)

 「帰って来た橋本治展」(横浜市の神奈川近代文学館、2024年6月2日まで)の開催を知り、「亡くなってもう5年か」と思ったのだが、それは、いつまでも橋本が遠くに行った気がしないからだ。積み上げられた膨大な仕事を読者も世の中も咀嚼(そしゃく)しきれていないと思う。橋本はまだ近くにいる。本展には理解を深める種がちりばめられていた。


 展示の冒頭で橋本を一躍有名にした「第19回駒場祭ポスター原画」(1968年)が目を引く。「とめてくれるな/おっかさん/背中のいちょうが/泣いている/男東大どこへ行く」。ポスター全体から才気がほとばしる。この熱量を終生維持していたのだろう。そのことを実感する展覧会でもある。


 1977年の「桃尻娘」で作家としてデビューし、70歳で亡くなるまで創作、評論、エッセーなどを書き続けた。「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」「桃尻語訳 枕草子」「窯変 源氏物語」「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」といった作品の数々で、対象も古典文学、歌舞伎、浄瑠璃、日本美術、少女漫画、言文一致、社会風俗など実に幅広い。猛烈に書きまくった印象がある。


 会場では多数の直筆原稿や書簡を目にすることができる。中でも「双調 平家物語」の直筆原稿は束、というより山に驚く。執筆のために作成した系図や年表などの資料はまさに重畳たる山脈の趣。荘厳な物語を組み立てる無数の細部がいかに重要かと迫ってくる。この山は実際に見るのがおすすめだ。


 文学者である時間と並行して、美術や編み物に打ち込む時間が不可欠だったことも本展で認識を新たにしたことの一つだ。70年代のテレビドラマ「時間ですよ・昭和元年」のタイトルバック、「あしたのジョー」、沢田研二などを図案化したニットのベストやセーターもあり、細部を大切にする姿勢を雄弁に語っている。


 本展編集委員の作家・松家仁之はこう記す。「もともと絵描きであった橋本さんは、部分を考えるときも、全体を抜きにして考えることはなかった」「すべてを見渡すことのできる人は細部をないがしろにはできない」。得心のいく橋本評だと思った。


 私は小説「巡礼」の刊行時に橋本を取材して記事を書いた。主人公は戦後、まじめに荒物の商売をしてきた男だが、次第に世の流れから外れていく。その軌跡を描く作品について語った言葉を、取材から15年たった今も反芻(はんすう)する。


 「人は複雑な言葉では感動したり、泣いたりしないと思う。感じるものってさりげない形でしか置かれていない。道端に花が咲いていて、きれいだと気付くか気付かないかなんて、奇跡的な境目じゃないですか」


 重畳たる知の人、橋本治を理解するにはまだまだ時間がいる。そう簡単に遠くには行かない。


 読書では森村泰昌の新刊「生き延びるために芸術は必要か」に刺激を受けた。古今の人物にふんしたセルフポートレート作品で知られる美術家森村が、「生き延びる」ことと美術の本質を考え抜いた1冊である。


 ゴヤ、ベラスケス、青木繁と坂本繁二郎、夏目漱石、三島由紀夫ら唯一無二の個性を発揮した先人の考えを参照しつつ、森村は「芸術にできるのは、生き延びたくても生き延びることができなかった人びとや出来事に、『わすれないでいるからね』と、懸命に孤独なまなざしをさしむけることだけであろう」と記す。そして真剣なまなざしは奇跡的に「深くて重い悲しみのかなたにほのかな光明をみつけだすことがある。そのかがやきがきっと“美”なのだ」という。


 パンデミックや戦争が世界を覆い、ささやかな喜びと生きがいが消し去られている現代にあって、忘却あるいは非常事態から生き延びる意味を芸術からつかみとりたい。その時、森村の芸術論は示唆に富む。


 個々の人間の感情は世界から見ればまったくの細部に過ぎないが、その「私」が世界の始まりでもある。森村の本を読了し「すべてを見渡すことのできる人は細部をないがしろにはできない」という松家の言葉をもう一度、かみしめた。(敬称略/杉本新・共同通信記者)



 すぎもと・あらた 文化部を経て現在は編集委員室所属。森村の著書からもう一つ挙げよう。1970年代に若き日の森村が「みんなといっしょはいやだな」と思って聴いたのがマイルス・デイビス「ビッチェズ・ブリュー」。当時からジャズの在り方を揺さぶる重要なアルバムとされてきた。そのころの森村が生き延びるために必要な音楽だったのだろう。初めて聴いた時、私はぼうぜんとしたが、今では収録曲の「ファラオズ・ダンス」が、物事に行き詰まった時の愛聴の1曲。



【今回のリスト】


▽神奈川近代文学館「帰って来た橋本治展」(6月2日まで)


▽森村泰昌「生き延びるために芸術は必要か」


▽マイルス・デイビス「ビッチェズ・ブリュー」

(c)KYODONEWS

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