2024.03.03 08:50
元船員の記憶 「マグロふててこい」と―追憶のマーシャル ビキニ事件70年(2)
1954年3月1日、米国はマーシャル諸島・ビキニ環礁で水爆「ブラボー」の実験をした。その約10日後、室戸のマグロ漁船「第五海福丸」は何も知らず、現場海域に入った。放射能で汚染されたマグロをひたすら取り、東京に戻ったのは4月7日だった。
国内では3月16日以降、静岡の「第五福竜丸」の被災が報道され始めた。放射能で汚染されたマグロが流通したこともあり、既に大騒ぎになっていた。
東京・築地で海福丸を待っていたのは、白衣の厚生省職員だった。放射線量を測るガイガーカウンターを手に、水揚げしたマグロや船員の衣服を調べ始めた。
船員手帳にある若き日の小笠原勝さんの写真
「魚を測ったら、機械から『ガリガリガリ』と音が出よった。特に大きな音がしたのは手袋。1週間ばぁ使い続けて、放射能が蓄積しちょったろうか。私らはその時に、被ばくしたことを正式に知ったわけです」
東京都の記録によれば、海福丸が釣ったキハダマグロなど340本、計14トンが廃棄処分になった。第五福竜丸を除くと、築地に水揚げした漁船では断トツに多い。
「マグロは全部、ふててこいと言われて…。夜も寝んとやったのはただ働きやった」…