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2024.02.18 08:00

【小澤さん逝く】音楽をより身近にした

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 日本だけでなく世界各地の音楽家や音楽ファンらが深い追悼をささげた。生前の活動に感謝した。いかに慕われ、功績が大きかった人かを表している。  
 世界的指揮者の小澤征爾さんが亡くなった。「世界のオザワ」と呼ばれ、クラシック音楽界のカリスマの1人だった。  
 1973年に米ボストン交響楽団の、2002年にはオペラの世界的拠点ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任した。いずれも日本人として初めてだった。  
 世界の名だたる楽団でも客演。情熱的な指揮と、そこから生み出される音楽やオペラが多くの人を魅了してきた。フランス紙フィガロは訃報に際し「クラシック音楽の魔術師」と伝えた。  
 卓越した実力も、若い頃から音楽への深い探求と努力があったからこそだろう。1959年、「音楽の武者修行」にと渡欧。フランスの指揮者コンクールで優勝すると、名指揮者カラヤンやバーンスタインにも師事して技量を磨き続けた。
 かつて欧米では、アジア人はクラシック音楽の技術は高くても、本質を理解することはできないとの偏見を持たれていた。それを払拭したのも小澤さんだった。  
 米ニューヨーク・タイムズは小澤さんについて「その性格と才能、とてつもない努力でこの偏見を克服した」と報じた。  
 小澤さんの功績の中で忘れてはならないのが、音楽ファンを増やし、音楽をより身近な存在にしたことだろう。
 特に長野県松本市での活動は知られる。30年以上前から毎年続く音楽祭「セイジ・オザワ松本フェスティバル」(旧称サイトウ・キネン・フェスティバル松本)で総監督を務めてきた。  
 他にも無料コンサートを開いて、クラシック音楽になじみのない人に生の演奏を届けたり、学校を訪問して子どもたちと一緒に音楽会を開いたりした。  
 国内外で楽団の結成や音楽塾の創設に携わり、後進の育成にも力を注いだ。小澤さんから直接指導を受けたり、音楽への向き合い方を学んだりした演奏家がいま、各地で活躍しており、頼もしい。
 気さくで明るく、交友関係も広かったようだ。作家の村上春樹さんとは音楽への思いを語り合った対談本を出版。建築家の安藤忠雄さんは「いつ会っても自由で心優しく、大きな方だった」と振り返る。  
 小澤さんが60年以上にわたって評価され続けたのも、そんな音楽愛や人柄もあってだろう。十数年前からは病気のため、思うように活動できなかった期間もあったが、音楽への情熱は失われず、多くの人に影響を与え続けてきた。  
 訃報は残念でならないが、小澤さんが残した足跡は大きい。それらは亡くなった後も多くの人に引き継がれ、深化するに違いない。日本から後に続く人材が出てくる日が待ち望まれる。

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