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2023.12.13 08:00

小社会 文学としての「竜馬がゆく」

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 将棋の藤井聡太八冠が愛読書の一つとして「竜馬がゆく」を挙げていた。小学校高学年の時にこの長編小説を読了したという。彼の早熟を示すエピソードとしても知られる。

 愛読書だというからには何度も読み返しているのだろうか。長丁場の精神力を必要として高度に知的な格闘である将棋において、「竜馬がゆく」から戦略と戦術につながるような「何か」を読み取ったのだろうか。早熟なことよりも、そのことを聞いてみたい。 

 先ごろ刊行された「『竜馬がゆく』のスリルとサスペンス」は、土佐中高の国語教諭だった広井護さんが「竜馬がゆく」を「優れた文学」として読み解いた本だ。

 もちろん文学というカテゴリーの中に歴史小説も置かれている。しかし「竜馬がゆく」は、あくまで歴史小説にとどまってきたのではないか。広井先生の徹底した分析的な「読み」によって、作品の高い文学性が明らかになっていく。

 幕末の剣豪でもあった「竜馬」の決定的な得意技は「外し」であったと指摘する。〈のっぴきならない状況を、意表をつく行動で瞬間的にずらし、一瞬弛緩(しかん)した空気の中で優位に立つ〉。その技を「竜馬」は剣術で習得し、幕末動乱の交渉にも生かした。

 「竜馬がゆく」は史実に基づきながら、そればかりではたどり着けない「何か」を追究した文学なのだ。司馬遼太郎さん生誕100年の今年、広井先生のスリリングな考察が明らかにしている。

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