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2023.05.17 08:00

小社会 万太郎の青春

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 「牧野富太郎」という物語において最も痛快なエピソードは、東京大学の植物学教室にするり入り込んでしまうことだろう。そもそも入学試験を受けるという発想はない。職員として働こうとも思っていない。そこにあるのは植物分類学への志だけである。

 土佐から植物の研究に熱心な無名の若者が上京した。やって来たのは東大の研究室である。そうして教授に会いたいというのだ。そこにいた学生たちも戸惑ったであろう。牧野博士が晩年に出版した「自叙伝」では事情がこんなふうにつづられている。

 〈この先生等は四国の山奥からえらく植物に熱心な男が出て来たというわけで、非常に私を歓迎してくれた。私の土佐の植物の話等は、皆に面白く思われたようだ〉

 感動的なことは教授たちが土佐の青年の純粋な情熱を受け止めたことである。そして、すでに彼は植物分類学の根幹となる標本の作成を始めていた。この情熱と実践によって、彼は東大の研究室に迎え入れられた。

 明治17年である。日本古来の本草学を西洋流の植物分類学へと進めようとしていた。ちょうどその時に、佐川で生まれた青年は東大植物学教室にやって来た。

 NHKの朝ドラ「らんまん」においても正装した万太郎が東大に飛び込んでいった。このずうずうしい田舎の青年は何者だ? 米コーネル大学で学んできた新進気鋭の植物学者である教授と対峙(たいじ)する。万太郎の青春が始まった。

高知のニュース 小社会

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