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2022.11.27 08:30

「理解してくれる人に出会いたい」 シン・マキノ伝【40】=第3部おわり= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)

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シラスゲを手に持つ牧野博士(東京・武蔵王子瀧野川、明治37年6月21日)=高知県立牧野植物園所蔵

シラスゲを手に持つ牧野博士(東京・武蔵王子瀧野川、明治37年6月21日)=高知県立牧野植物園所蔵

 牧野富太郎が宮部金吾に宛てた手紙を何回か取り上げたが、宮部は牧野にどのような返事をしたのであろうか。宮部からの書簡があるのかどうかを高知県立牧野植物園で調べてみた。その結果、4通の葉書と1通の手紙が残されていることが分かった。これらの書簡は、消印と牧野の住所などを手掛かりに明治34年から同37年までに書かれたものと判明した。葉書の内容は、東京に着いたので滞在中面会したい旨を伝えたものや見送りとご恵贈品のお礼を述べたものなどである。手紙は、牧野が明治33年に刊行した「大日本植物志」の第1集などを送ったことに対する礼状であり、これについてのアドバイスや松村任三との仲を気遣うようなことも書かれてあり興味深いものであった。ここに紹介したいと思う。

 宮部が牧野に送った手紙は、明治34(1901)年1月2日付で、北海道の登別温泉から出されたものである。新年の挨拶も兼ねたこの手紙は、昨年病気のため詳細な手紙も差し上げたいと思いつつ先に延ばしご無沙汰してしまったというお詫びの言葉で始まる。続いて、昨年恵与くだされた貴著と苔類の標本のお礼が述べられる。標本については、これから保養のため上京するので研究に必要な標本があればご用立てするし、重複標本がなければ本校の貸付標本を持参すると申し出ている。「大日本植物志」に関しては「精巧確実比類稀ナリ」であるが、これだけの「大著述」に欧文の説明が欠如しているのは誠に残念であり、このことは松村君にも伝えてあり、第2集を出すときには第1集の分とともに欧文の説明を掲載することが望ましいと書かれる。さらに、松村君には欧文について意見があるようだから、松村君を満足させるように、かつ貴兄の意見も通るよう記載して、その上でイギリス人に校閲してもらい出版となれば、日本の学術界にとって喜ばしいことである。解説については、日本文と欧文を全く同一にする必要がなく、欧文はかなり略したものでもよいので、ご一考されたしと述べる。今年か来年は北海道に採集がてらお出かけ下されという一文もある。以上が宮部の手紙のあらましである。

 18回目の記事において、牧野著「日本植物志図篇」に対する松村の評を紹介したが、それは、図の絶賛に加えて、仮名や漢数字だけでなくローマ字やローマ数字の表記があった方が外国人には良いのではないかというアドバイスもあった。これを受けたのであろう、同第3集(1889年1月刊)からは、図版番号にローマ数字が、植物名にローマ字が加えられた。「大日本植物志」についての松村の評は、自叙伝に「その精細な植物の記載文を見て、松村氏は文章が牛の小便のようにだらだら長いとか何とかいってこれに非を打つという風で私も甚だ面白くない」と書かれてあるが、宮部の記述からは欧文についても松村は何か意見があったように読み取れる。宮部は、植物の解説に欧文の必要性を指摘している。しかしながら刊行された2集以降に、サクユリに関する英文の記載以外は、他の植物について英語による解説は見られない。

 この手紙をもらって、というよりは行き違いになったであろうか、牧野が宮部に送った1月5日付の手紙がある。すなわち35回目の記事において、蘚類の標本に関してすでに言及した手紙であるが、その他に、牧野は目下日本の竹類の研究をしており、北海道の標本に関してはぜひとも先生(宮部のこと)の助力を仰ぎたいと願い、本州の標本は一そろいまとめて進呈すると述べている。さらに、牧野が勤務する大学の標品館は根本的改良が必要であるため、牧野は標本の完備など抱負を抱くが、自分は微妙な立場にあって、国のため学術のためそれを実行しがたく、自分のことを本当に理解してくれる人に出会えることができたらどんなにうれしいことかと言い、現実は自分のことを曲解され悪しざまに言われており、それは本当に遺憾であると胸の内を吐露している。自分を受け入れてくれる人と一緒に国家や学問のために尽くしたいのに、という牧野の無念さが伝わって余りある内容の手紙である。

 さて、話が変わるがマキノスミレという牧野の名を持つスミレがある。なぜ「マキノ」なのかという問い合わせがあったので、「新分類牧野日本植物図鑑」(北隆館、2017年)を調べると、学名Viola makinoi H.Boissieuを和名に訳したものという説明があった。そこで、この学名が発表された論考を探してみると、命名者であるフランスの植物学者H. de Boissieu(1871~1912年)による「フォーリー神父の採集品に基づいた、日本の植物に関する新種と産地のリスト」(1900年)に、マキノスミレの学名と記載文が掲げられてあったが、特に牧野に献呈した理由は書かれていなかった。論考の初めには、日本の植物についてヨーロッパの研究者による先行研究があって、そこへ日本人が熱心に研究に取り組むようになったが、日本の植物学の出版物は限られた部数でヨーロッパでは入手が難しく、そのため両地域の研究者が互いの成果を知ることなく2回命名し記載することが起きていると問題点が提示される。そして、その最も混乱したスミレ属において詳細な再検討が必要であるとしてその結果を一覧にしたとある。それを見ていくと、スミレ属の中で新種に命名した日本人は牧野一人である。したがってこの属における日本人としての牧野の貢献を記念して、Boissieuは新種のスミレに牧野の名を付けたのであろうと推察される。この推察は、2年後に牧野がBoissieuに献呈した学名を発表した時の説明を根拠としている。すなわち、牧野は新種のスミレにViola Boissieuana(ヒメミヤマスミレ)という学名を付与し「植物学雑誌」(第16巻第184号)に掲載した。その中で、学名は日本のスミレについて貴重な研究をしたBoissieu博士を記念して定めたという説明がなされているからである。牧野は、Boissieuの自分に対する命名を受けて、ここでBoissieuに献呈したと思われる。

 牧野の図説集に対して松村や宮部が英語など欧文で示す必要性を主張した。一方、Boissieuは日本の研究成果の入手がヨーロッパでは困難であることを述べている。たとえ入手できたとしても、日本語のみの表記であったならば理解は難しいであろうと想像される。たまたまマキノスミレの由来を調べたことから、Boissieuの論考に出合ったのであるが、当時の欧米において牧野の研究は、植物図を含めてどう受け止められていたのであろうか。図は言葉がなくても相通じるものである。27回の記事で触れたようにムジナモの花の図はドイツの植物学書に掲載された。海外での牧野の評価という課題が一つできた。

 第3部は、明治26年から始めた。牧野の自叙伝は、幼い頃の記憶から松村とうまく行かなくなる第2の受難と「大日本植物志」の出版あたりまでは時間的にほとんど途切れなく書かれるが、その後は植物採集会の話題を除いて「池長植物研究所」の話になり間があく。「シン・マキノ伝」は基本的に自叙伝をたどっているのであるが、3部は「大日本植物志」を中心に自叙伝では書かれていない牧野の活躍を追ってみた。特に植物との出合いのエピソードを盛り込んでみた。これらは牧野の本来の研究である分類学からはそれるが、こうしたエピソードも牧野の幅の広さというか、ユニークな面を現すというか、牧野のありさまを伝えることに間違いはないと思う。第4部では、牧野の大学のポストについて大きな局面を迎えるとともに、経済的なピンチに陥るところに救いの手が差し伸べられる。一方、新たな雑誌の創刊、図譜編さん、そして図鑑の仕事というように新たな挑戦が続く。(田中純子・練馬区立牧野記念庭園学芸員)
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 長期連載企画「シン・マキノ伝」は、生誕160年を今年迎えた高知県佐川町出身の世界的植物学者・牧野富太郎の生涯をたどる最新の評伝です。筆者は東京の練馬区立牧野記念庭園の田中純子・学芸員です。同園は牧野が晩年を過ごした自宅と庭のある地にあり、その業績を顕彰する記念館と庭園が整備されています。田中学芸員は長らく牧野に関する史料の発掘や調査を続けている牧野富太郎研究の第一人者です。その植物全般におよぶ膨大な知識の集積、目を見張る精緻な植物図の作成、日本全国各地の山野を歩き回ったフィールド・ワーク、およそ40万枚もの植物標本の収集、そしてその破天荒ともいえる生き方……。新たに見つかった史料や新しい視点で田中学芸員が牧野富太郎の実像を浮き彫りにする最新の評伝を本紙ウェブに書き下ろします。牧野博士をモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」が始まる来年春ごろまで連載する予定です。ご期待ください。
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 たなか・じゅんこ 1964年、東京生まれ。上智大学大学院修士課程卒業(歴史学専攻)。中高等学校で教師を勤めた後、東京国立博物館で江戸から明治時代にかけての博物学的資料の整理調査に当たる。2010年、リニューアルオープンした練馬区立牧野記念庭園記念館の学芸員となり現在に至る。植物学者・牧野富太郎をはじめ植物と関わったさまざまな人たちの展示を手掛ける。

※シン・マキノ伝の第1部(1~9回目)は下記の「一覧」をクリックいただくとご覧になれます※

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