2022.06.27 08:35
「地域の水田 未来へ」 愛媛側の農家 渡辺さん―四万十川は今《川に生きる》
止水板を示す渡辺吉男さん(右)。あふれた水は、板のすぐ後ろの排水口から水路へ落とされる=写真はいずれも愛媛県宇和島市三間町
「物心付いて、庭の外に出たら、そこに自然があった。川へ行たら魚がおるもんじゃ、と。竹を切ってさおにして、針にミミズ付けて。全部、見よう見まねよ」
夜は、たいまつの炎で川や石積みの水路を照らし、ウナギなどの「夜狩(よが)り」を楽しんだ。
田に水を引く水路を夜間、こっそりせき止めた。干上がった場所で、ウナギが「ごよごよ」とうごめいていた。
ツガニ(モクズガニ)もまた、無尽蔵と思える量が、四万十市の河口からさかのぼってきた。
「あの子ら(ツガニ)はイタンボ(イタドリ)の花咲くころ、一斉に川を下るんよな。『もうガニ(カニ)下るぞぉ』言うて。大きな鍋でゆがいて。言うに言われん、おいしさあったけんどな」
「何百、何千のツガニが川底に爪を立てて、ごそごそ歩いて来る。その爪で、石を覆う藻が削られ、流れていった。石には、すぐまた藻が生える。これ一つみても、自然が自然を浄化する力があったと思うね」
ウナギもツガニも、今はほとんど見掛けないという。
河川改修に伴うコンクリート張りなどで、生息環境が失われた影響も考えられる。住民の間では「高知側の乱獲が原因」との印象を抱く人もいる。
「川を汚すな」「乱獲するな」。上流と下流で、視点と利害が変わる。県境を挟んでいるため、相手方の状況がよく伝わってこないのも実情だ。
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大森城跡の上空から、ドローンで南西を望む。四万十の最上流域に田園地帯が広がっている
まず、水田を大規模化する圃場(ほじょう)整備の影響。渡辺さんの地区では、昭和50年代に行われた。
「棚田の時代には、上の段から1枚ずつ、小さな田んぼに水を入れながら、あぜを塗っていきよったけんな。泥壁を手作業で。泥水は、下の田んぼが次々と受けてくれて、最後の1枚から、川に流れ出たんよ」
しかもトラクター導入以前は、牛にすきを引かせていた。濁水の量は限定的だったろう。
圃場整備の後、広い田に取り入れた水は、代かき・田植えに伴う濁りが落ち着く間もなく、一気に河川に排出されるようになった。
三間町の水田の泥は粒子が細かく、水中で沈殿しにくいという
また昭和後期にコシヒカリなどの早場米の栽培に切り替わると、田植えはゴールデンウイーク前後に前倒しされた。
しかもそのころから「清流・四万十」のイメージが全国に浸透。濁水が最も際立つ時季に、大勢の観光客が高知県側を訪れるようになった。
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両県知事の会談の場でも、この濁水問題が取り上げられた。対応を迫られた愛媛側の行政は地元農家に対して、改善への協力を要請する。
対策の柱は二つ。まずは田から水路・河川への濁水の出口を、「止水板」でブロックする。次に、田にほとんど水をためない「浅水(あさみず)代かき」を実践する。
渡辺さんの田の止水板には「土や肥料がもったいない ストップ! 濁水!」「愛媛県/広見川等農業排水対策協議会」と印刷されていた。
地域を挙げた取り組みが続くが、今も抜本解決には至っていない。
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最近は、土壌改良材を散布して泥の粒子の沈殿を早める方法も試行されている。
ただ、散布用の機械は、本体重量10キロ余り。中に改良材を20キロ詰めるとすれば、農家は合計30キロ超を背負うことになる。
高齢化した農家に、体力的な負担は大きい。経費もかかる。
そして今、肥料などの農業用資材が一気に高騰している。ロシアによるウクライナ侵攻の余波だ。
三間町でもこの数十年で、多くの稲作農家が“脱落”してきた。その土地を、大規模化した農家が借り受けて耕し、農地は何とか維持されてきた。集約化の流れは、今後も進むとみられる。
「ここへ来て、ギブアップする農家が一気に増えるんじゃないか? そのくらいわれわれ農家は、そして農村は追い込まれとるんです」
渡辺さんの悩みは尽きない。
「耕作をやめたら、田植え時季の濁りは、解消するかもしれん。しかしその土地が荒れたら、地域全体では、逆に自然が壊れていく。それもある程度、想定しておかなんだら…」
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水田の泥を、渡辺さんの上の世代は「作場(さくば)泥じゃけん、大事にせにゃいけん」と重視していた。栄養分を含む、田畑の土壌のことだ。
「だから俺は本当のところ愛媛県が、あるいは高知県が何を言うてこようとやね。一農家として、田んぼを、この泥を守って、未来につなぎたい。川に流しとうはない」(編集委員・福田仁)