美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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友は「天真でやれ」―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(38)
新橋停車場(1900年刊『日本之名勝』、国立国会図書館ウェブサイトより) 堺利彦に結婚を申し込まれた時のことを、延岡為子(ためこ)が書いている。 1905(明治38)年8月18日は、堺の先妻、美知子の...
寝床にほうき1本―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(37)
池上本門寺(1899年刊『旅の家つと 第12 東京附近の巻』、国立国会図書館ウェブサイトより) 1905(明治38)年春。堺利彦の日記文は、季節の花や草に彩られている。 平民社の縁側には三色スミレの小...
人生一切が政治なり―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(36)
緑一色の週刊「直言」の「婦人号」(労働運動史研究会による1960年復刻版) 平民社の台所仕事をこなしながら、松岡文子や延岡為子(ためこ)たちは日比谷公園で週刊「直言」のチラシを配るなどした。休んでいた...
ただでくれたまえ―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(35)
幸徳秋水=右から8人目=と、西川光二郎=同6人目=の入獄記念写真。松岡文子=同2人目=や堺利彦=同4人目、斎藤兼次郎=同5人目、福田英子=左から6人目=もいる(1905年2月28日、東京・日比谷公園、...
一粒の麦となって―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(34)
最終号となった赤いインクの週刊「平民新聞」第64号(1982年刊、近代史研究所発行の復刻版) 1905(明治38)年元日付の週刊「平民新聞」に載った募集広告に、金沢市の延岡為子(ためこ)は心を揺さぶら...
牛南蛮のごちそうだ―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(33)
平民社から近かった銀座(1909年刊『最新東京名所写真帖』、国立国会図書館ウェブサイトより) 1904(明治37)年12月。平民社のまかないを引き受けた松岡文子は、兄が営む下宿に住み、本郷から通った。...
銀座通りの大騒ぎ―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(32)
今の東京・有楽町マリオン付近。かつて週刊『平民新聞』の平民社があった 週刊「平民新聞」の1904(明治37)年9月4日付の2面に「旅順まだ陥落せず」という記事が載っている。〈最初の開戦の時より旅順陥落...
ひとあし踏みて夫思ひ―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(31)
大塚楠緒子 「君死にたまふことなかれ」の論争が続いていたころ、平塚らいてうは日本女子大学校に通っていた。一番の人気は東京帝大教授による西洋美術史の講義で、いつも講堂がいっぱいになった。 〈幻燈でラファ...
おぢい様どう遊ばし?―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(30)
遼東半島の南山の戦闘を描いた挿絵(1904年刊『少年日露戦史 第四編 南山の巻』、国立国会図書館ウェブサイトより) 与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」は波紋を呼んだ。 彼女が雑誌「明星」に発表し...
晶子は罪人なり?―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(29)
旅順総攻撃で、203高地の攻防を描いた挿絵(1905年刊『少年日露戦史 第拾壹編』、国立国会図書館デジタルコレクションより) 堺利彦の妻、美知子が亡くなった1904(明治37)年夏、戦争は激しくなって...
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