美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(10)
大量伐採で薪を集め、山は荒れた(1895年刊『古河足尾銅山写真帖』=小野崎一徳撮影、国立国会図書館ウェブサイトより)服を脱いで「どうぞ」 田中正造の直訴は注目を集め、少なからぬ人々に影響を与えることに...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(9)
田中正造(1926年刊『田中正造自叙伝』、国会図書館ウェブサイトより)その夜、兆民の枕元で 1901(明治34)年10月に田中正造は衆議院議員を辞めた。しばらくたった日、正造は幸徳秋水の家を訪ねている...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(8)
田中正造による修正だらけの直訴状(全体の一部、原田寛さん所蔵)変なやつが川にいる 田中正造が1901(明治34)年6月、人力車で移動中に偶然出会った石川半山。 彼はそのころ毎日新聞の主筆で、足尾銅山の...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(7)
川俣事件の前日、田中正造が手紙に描いた骸骨の絵(1900年2月12日、川俣久平宛て、栃木県佐野市郷土博物館所蔵)骸骨がゴロゴロです 〈拝啓つかまつります。先刻、『わが国は滅亡に近い。死に水を取りに来て...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(6)
足尾銅山の本山全景(1895年刊『古河足尾銅山写真帖』=小野崎一徳撮影、国立国会図書館ウェブサイトより)検事の前で大あくび 足尾銅山の鉱毒被害者たちは、政府に苦境を直接訴えようと、一斉上京(押し出し)...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(5)
足尾銅山の小滝製錬所(1895年刊『古河足尾銅山写真帖』=小野崎一徳撮影、国立国会図書館ウェブサイトより)諸君の政府なり 田中正造が所属している憲政党が、政権を取ったのは1898(明治31)年6月だっ...
喫水線 明治の人の息遣い 高知新聞社学芸部長・天野弘幹
幸徳秋水の妻、千代子が「夫 幸徳秋水の思ひ出」(東洋堂)を出版したのは、第2次世界大戦の終戦から間もない1946年6月のことだ。思想弾圧と軍国主義の長い時代が終わり、自由な世界を待ちかねていたかのよ...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(4)
帝国議会議事堂(1903年刊『日本之勝観』、国会図書館ウェブサイトより)長い演説はいたしません 田中正造は1891(明治24)年12月に初めて国会で鉱毒問題を追及。以来、毎回のように政府に質問書を出し...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(3)
明治20年代の衆議院議事堂(1893年発行『東京景色写真版』、国会図書館ウェブサイトより)陸奥はのらりくらり 田中正造が、ひんぱんに幸徳秋水の家を訪れるようになったのは明治30年代半ばである。その少し...
美しき座標 平民社を巡る人々 第3部「とっちんの愛」(2)
田中正造が手描きした地図。利根川と渡良瀬川の水害見取り図で、大正元年に裁判に提出した(栃木県佐野市郷土博物館所蔵)風来坊の長っ尻 ひげもじゃで愛嬌(あいきょう)のある丸顔。服装はいつも同じ、ぼた餅紋の...
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