美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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貿易繁盛ゆかいゆかい―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(6)
初の大型国産船、常陸丸(1935年刊『日本郵船株式会社五十年史』、国立国会図書館ウェブサイトより) 日清戦争で軍に船を貸して得た利益と、国の新しい補助金などを元手にして、日本郵船は欧州、北米、豪州と結...
ライバルを丸のみ―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(5)
日本郵船が所有する船の増加を表した絵。左から5年ごとに推移し、5隻目が幸徳秋水の渡米した1905年に当たる(同社の1915年刊『創立満三十年記念帖』) 日本郵船の伊予丸は、20世紀最初の1901(明治...
悪いやつも、良い人も―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(4)
横浜を出て1週間ほどたつと、多少は波の揺れに慣れてくる。 〈気分が少し良く(朝昼晩の)三度とも食堂に出た〉〈人々はみんな和やかに楽しんでいる。シアトルで新聞を創刊してはいかがですかと言う人がいた。で...
甲板でスリッパは厳禁―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(3)
1896年3月、神戸港で行われた「土佐丸」の欧州航路就航セレモニー(『日本郵船株式会社五十年史』=国立国会図書館ウェブサイトより) 波は山のように高くうねり、空気は冷たい。幸徳秋水は腸の具合がよくなく...
甘酒屋は大繁盛―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(2)
明治の頃の横浜港の大桟橋 伊予丸は、太平洋を東へ進んでいく。 幸徳秋水は早々に船酔いし、なんとか日記を付ける気になった頃には、横浜港を出て丸3日がたっていた。〈少し食べ、多く寝て、二日を過ごした。嘔吐...
出だしから船酔い―美しき座標 平民社を巡る人々 第7部「再生への船旅」(1)
明治の頃の横浜港大桟橋 幸徳秋水を乗せた米シアトル行きの「伊予丸」が、ゆっくりと横浜港の埠頭(ふとう)を離れたのは、1905(明治38)年11月14日午後2時ごろのことだった。 汽笛を鳴らし、黒い煙を...
希望と挫折を胸に船出―美しき座標 平民社を巡る人々(特集7)
幸徳秋水平民社解散後 弾圧逃れ 1905(明治38)年の晩秋、幸徳秋水(現四万十市出身)は、神奈川県の横浜港桟橋にいた。相次ぐ弾圧のために平民社は、1カ月余り前に解散したばかり。秋水はこれから船で渡米...
神さま、救いたまえ―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部=終「新しい人よ」(51)
1913年2月15日の青鞜社講演会で語る岩野清子(56年刊、毎日新聞社編『写真 明治大正60年史』より) 平塚らいてうが「新しい女」と題する詩のような短文を、雑誌「中央公論」に載せたのは、1913(大...
毎日遅刻してくる人―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(50)
青鞜社メンバー。左から2人目が岩野清子。右端が平塚らいてう(1913年春、東京・巣鴨の清子宅) 東京・九段下の成美女子英語学校である時期、朝1時間だけ、学外の者も聴講できる文学講座が開かれていた。 1...
世界婦人の消えた夏―美しき座標 平民社を巡る人々 第6部「新しい人よ」(49)
弾圧にめげない姿勢を1面の絵で示した1909年1月5日付「世界婦人」(労働運動史研究会の復刻版) 福田英子の「世界婦人」は1907(明治40)年1月の創刊以来、海外各国の女性たちの参政権運動について伝...
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