美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(22)
ダム湖に沈む前の魚梁瀬の森想像してごらん 夜になり、シバコ山に降る雨はますます激しくなった。真っ暗闇の深い森。ぬれた下り道は踏み外すと、はるか下の渓流に転落してしまうから、中江兆民たちは後ろ向きではい...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(21)
中江兆民が魚梁瀬を訪ねたことを記念する石碑の除幕式(1995年7月、馬路村魚梁瀬)八の字眉の困り顔 猛暑となった1888(明治21)年7月半ば。大阪の中江兆民の元へ仏学塾の門下生だった山崎保太郎の父、...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(20)
「中江兆民奇行談」にある、印半纏を着て演説する中江兆民の絵(国立国会図書館ウェブサイトより)日本国民、火の用心! クーデターに等しい保安条例で退去を命じられた幸徳秋水は一人、東京を離れた。1887(明...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(19)
山木(政府の参議)で作った言論弾圧の条例だから、放り込むほど、国粥(こっかい)や集粥(しゅうかい)が下からぐつぐつ沸騰する(1880年5月1日付『団団珍聞(まるまるちんぶん)』=高知市立自由民権記念館...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(18)
高知県の朝倉村総代で、三大事件建白運動で上京中の1887年暮れに、保安条例で東京から追放された金地嘉正の手帳。金虎館に泊まり、訪ね歩いた政府高官の住所などを記している(高知市立自由民権記念館所蔵)夢の...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(17)
保安条例の退去命令書(高知市立自由民権記念館所蔵)おれは酒を飲んでいる 自由党が解党したのは1884(明治17)年10月だったが、再結集を模索する動きは常にあったようだ。 約1年後の85年11月、「朝...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(16)
おまえ一人の雪隠(せっちん)(便所)じゃない。紙を手に早く開けろと、皆ブーブー。国会がなかなか開設されないことを描いている(1880年5月22日付『団団珍聞(まるまるちんぶん)』)=高知市立自由民権記...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(15)
中江兆民「三酔人経綸問答」の生原稿(高知市の島崎誠さん所蔵)まっすぐな紳士君 中江兆民が代表作「三酔人経綸問答(さんすいじんけいりんもんどう)」を著したのは1887(明治20)年5月、39歳の時だった...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(14)
1883年1月に板垣退助がパリで買ったルイ・ヴィトンのトランク。貧乏旅行だったと言われるが、一体どんな旅!?=個人寄託・高知市立自由民権記念館保管お金のない旅行!? 自由党の板垣退助たちがすったもんだ...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(13)
馬場辰猪に解雇を伝える板垣退助の手紙(高知市立自由民権記念館所蔵)おっぱじめた大げんか 金の出どころが怪しい欧州旅行に出発しようとする自由党党首の板垣退助を巡り、1882(明治15)年秋、発足1年に満...
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