美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
185記事
美しき座標 平民社を巡る人々
幸徳秋水(幡多郡中村町出身)らが日露戦争反対を貫くため、自由、平等、博愛を掲げる平民新聞を創刊したのは1903年秋。彼らの息づかいを感じる連載。
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美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(12)
馬場辰猪(高知市立自由民権記念館所蔵、安永梧郎著『馬場辰猪』より)自由党の精神の人 その日、怒った馬場辰猪(たつい)と大石正巳は、板垣退助の腕を取って殴ろうとした。周囲の者たちが取り押さえ、未然に終わ...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(11)
キジは「後で蛇をずたずたにする」と言うが、こんな様子では「難蛇官蛇(なんじゃかんじゃ)言っても無理だろう」(1982年9月16日付『団団珍聞(まるまるちんぶん)』)=高知市立自由民権記念館所蔵船長はい...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(10)
セミはミンミン、キジはケンケン鳴く―。土佐の人々に民権を説く猿の街頭演説(猿説)=1879年2月22日付『団団珍聞(まるまるちんぶん)』(高知市立自由民権記念館所蔵)自由党員や哀れ 日本の政党は、三つ...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(9)
新聞付録の双六(すごろく)。国会開設のゴールまで、板垣退助遭難などのこまが並ぶ(1890年1月3日付『東雲新聞』)=高知市立自由民権記念館所蔵自由主義の子どもたち 板垣退助らの自由党が発足した1881...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(8)
錦絵「帝国議会開院式真景」(1890年11月)=高知市立自由民権記念館所蔵お説の通り大好物 仏学塾は、何度か引っ越しを重ねている。中江兆民はその都度同じ場所か、近くに住むようにしていた。 兆民の回想に...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(7)
ビゴー作「仏学塾の書生」(高知市立自由民権資料館所蔵)赤い鼻緒の下駄で 東京に仏学塾を開いて間もない頃の中江兆民は、いつもぼさぼさ髪で、あかのついた着物姿だった。紛失しないようにと、赤い鼻緒の下駄(げ...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(6)
ビゴーが描いた中江兆民の仏学塾(1885年)=高知市立自由民権記念館所蔵原稿で鼻を拭きました 2年余りを過ごしたフランスを離れ、中江兆民は1874(明治7)年6月に日本へ戻った。 東京・麹町に「仏蘭西...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(5)
フランス留学時代の中江兆民不作法の極みでした 中江兆民がフランスに着いたのは1872(明治5)年1月だった。それから本国の指示で帰国の途に就くまでの2年余りを、リヨンやパリで過ごしている。 兆民がどの...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(4)
大久保利通に直談判する兆民(『中江兆民奇行談』口絵、国立国会図書館ウェブサイトより)人の家の中へすたすた 長崎でフランス学に触れた中江兆民はその後、江戸に移っている。幕府が崩壊していくさなかのことだ。...
美しき座標 平民社を巡る人々 第4部「おかしな兆民先生」(3)
今のはりまや町辺り、明治初期の町並み(高知市民図書館所蔵 寺田正写真文庫)「中江のニイさん…」 中江兆民は写真嫌いで、撮影されたものがあまり残っていない。子どものころ天然痘にかかったため、顔に残った痕...
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