2025.07.11 08:15
【あんぱん】「月刊高知」編集部で東京出張 やなせさんと暢さん、おでん事件で仲深める

「あんぱん」の一場面。おでんで下痢に苦しむ嵩(北村匠海さん)たちは…
NHK連続テレビ小説「あんぱん」で11日、雑誌「月刊くじら」の編集部4人が出張で東京を訪ねる場面が放送された。高知新聞の「月刊高知」編集部員の4人も創刊直後の1946年7月末~8月に上京し、県選出の国会議員をインタビューしている。この出張中に起きた「おでん事件」がきっかけで、やなせたかしさんと暢さんの仲が深まった。
月刊高知では創刊号を送り出した直後、やなせさん(当時27歳)、暢さん(28歳)、青山茂編集長(38歳)、品原淳次郎さん(21歳)が、8月号の特集記事「われらが代議士を訪ふ」の取材のため上京した。
空路のない時代。鉄道で高松へ。宇高連絡船から山陽線、東海道線と列車を乗り継いだ。やなせさんは車内の様子を「すし詰め、超満員。デッキまでぎっしりだから窓から押し込んでもらって出入りする」「まるで障害物レースをやっているよう」だったとエッセーに書き残す。暢さんも同月号の編集後記にこう書いた。「連絡駅毎にボロをまとった浮浪児の食を求めて差し出す手々、夏草茫々の沿線の風景に敗戦日本の姿をみじめに感じます」

やなせさんが特集記事で描いた林譲治

やなせさんが特集記事で描いた、後に暢さんが秘書となった佐竹晴記
ある夜。4人は闇市の屋台で買ったおでんをおかずに支社で慰労会を開いた。ちくわ、かまぼこ、はんぺん、大根、つみれ、ゆで卵…。「男3人バクバク食べた」とやなせさんは書き残す。
翌日は各自ばらばらの自由行動。やなせさんは銀座の知人の事務所を訪ね、そこで腹痛を覚え「猛烈な下痢が始まった」。慌てて支社に戻っても「5分ごとにトイレへ行く」状態。青くなって寝ていると、3人が帰ってきた。やがて青山さん、品原さんも腹痛を訴えトイレに駆け込むように。前夜のちくわやつみれが傷んでいたらしい。
ただ、暢さんは「おいしいものは、男の人に食べさせてあげたかった」と大根ばかり食べており無事で、夜通し3人を看病してくれたという。やなせさんはこう記す。「献身的、テキパキ、非常の場合になると実に頼りがいがあり頼もしかった」
3人のうち、最初に回復したのはやなせさん。大根ばかり食べた暢さんの奥ゆかしさと献身的な姿にますます魅了されたようだ。2人きりで荷物の整理や原稿送信をしているうちに互いの距離が縮まった。
「おでん中毒事件がなかったらその後の運命は違ったかもしれない」と、やなせさんは照れとうれしさが伝わる書きぶりで、当時を振り返っている。
ところで、品原さんは85年のエッセーで東京出張の思い出をこう書いている。
「ふだん食べたこともない牛肉のミンチをすき焼きにして食べたら、私を除く3人が食中毒で倒れた」
え? 暢さんも実は倒れてた? 看病されたのはやなせさんの妄想? 品原さんの記憶違い? もしや食中毒は2度あった?
事の真相は、神のみぞ知る。(村瀬佐保)




















