2024.10.24 08:20
【全文公開】「カラスミしようか!」 母の料理に育てられた 弘瀬伸洋―魚信 はっぴぃ魚ッチ

イトヨリダイの姿ずし。盛り付けも豪快な母の料理
これが私の母親像だ。小さい頃から、両親には「自分でやることには責任を持って。自分の人生なのだから」と教えられた。
どんなに夜遅くまで外出しようが、朝早くから出掛けようが。「危ないからやめなさい」と、頭ごなしに禁止されることはなかった。筋を通して注意されることはあっても、激しく怒られた記憶はない。何でもチャレンジさせてくれ、おかげで自由に成長させてもらったと思う。
母がすごかったのは、私が何を釣って帰っても嫌がらず、「すご~い!」と褒めてくれたことだ。
主に浦戸湾で釣った獲物を手に、釣り少年の私はニヤニヤと得意げだった。そして大抵の場合、母はそれらの魚をおいしく料理して食べさせてくれたのだ。

竹筒でたく、アユ飯も大好物
「カラスミしようか!」
こう言うと、作業に取りかかった。カラスミはボラの卵巣を塩漬けにし乾燥させた珍味で、非常に手間が掛かる。母が手作りしたそれは、生涯忘れることができないおいしさであった。
浦戸湾でニロギをバケツいっぱいに釣ってくると、「すまし汁にしようかねえ、煮付けにしようか」。港のガシラやベラは唐揚げで楽しませてくれた。
さまざまな魚を、刺し身はもちろん、スパイスや香草も駆使してトムヤムクン風スープやアクアパッツァ、パエリアといった外国の料理に変身させ、燻製(くんせい)にしてくれたこともある。そして、おいしそうに食べる私を眺めてほほ笑むのだった。
母は74歳。山登りや旅行を楽しみながら、食や料理に対する探究心も衰えない。自宅に友人を招いては腕を振るって料理を並べ、宴会を繰り広げている。
わが家では、両親が夜に仕事に出ることも多かったため、母は「家族らしいことをしてあげたい」という思いもあったようだ。でもあれほど多彩に、そしていつでも、子どもの釣果を料理するなんて、そうできるものではない。自分が親になった今、しみじみその偉大さを感じている。 私の釣りの喜びの原点は、間違いなくこの母親の姿勢にある。(理髪店「床屋」店主=高知市瀬戸1丁目)

弘瀬伸洋




















