2024.08.29 05:00
小社会 もう一つの五輪

所長のルートビヒ・グトマン医師が「パラリンピックの父」と呼ばれる。ベッドに横たわる兵士たちを屋外に連れ出し、スポーツを治療に取り入れ、生きる希望を与えた。その理念の一つが、「失われたものを数えるな。残ったものを最大限に生かせ」だった。
終戦の3年後、車いすの傷痍(しょうい)軍人16人が参加するアーチェリー大会が開かれた。グトマン医師は「いつか障害者のオリンピックを開く」。夢物語と笑われても信念は揺るがなかったという。
障害者スポーツは国際化、競技化して規模も広がってきた。パラリンピックの名称は、下半身まひ者を表す英語「パラプレジア」とオリンピックを掛け合わせた造語が由来。今では「パラレル(もう一つの)五輪」と捉えられるが、もうこちらの方がうなずける。
パリ大会には、高知県勢も4選手が出場する。五輪のレスリング競技で県勢2選手が「金」に輝いた後だけに、期するものがある選手もいるだろう。多様性や共生社会、人間の可能性を表現する躍動に期待して観戦したい。
ただ、ノルマンディー上陸作戦から80年後の世界も戦火は絶えない。共生、連帯…。パラの理念を理解すべき為政者への憤りも心のどこかに置きながら。























