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2025.11.07 08:30

【全文公開】卑弥呼もびっくり!? 古代文字「何不」が刻まれた土器、なぜ高知で出土? 若宮ノ東遺跡(南国市)の刻書土器を鑑定した早大教授が初解説 高知県立埋蔵文化財センター講演会

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刻書土器について解説する田中史生・早稲田大学教授(南国市の市地域交流センター「みあーれ」)

刻書土器について解説する田中史生・早稲田大学教授(南国市の市地域交流センター「みあーれ」)

 若宮ノ東遺跡(南国市篠原)から出土し、漢字「何不」が刻まれているとみられる刻書土器について解説する講演会がこのほど、同市大埇甲の市地域交流センター「みあーれ」で開かれた。文字の鑑定に携わった田中史生・早稲田大学文学学術院教授は、文字を記したのは「四国の資源調査にきた渡来系官人(役人)ではないか」という仮説を示した。


《初報は紙面やサイトで大きく報じられた》
【特別全文公開】古代土器片に漢字2字か「何不」最古級文章の一部?(2025/1/23)

【特別全文公開】土器片に「何不」文字使用の歴史解明に一石 「なぜ高知で」謎多く(2025/1/23)


 「日本古代の国際交流史」が専門の田中教授は、国立歴史民俗博物館の平川南・元館長らと共に、刻書土器の発見当初から文字の解読や出土した背景を検討してきた一人。今回の講演「文字文化の東遷と若宮ノ東遺跡の刻書土器」は、専門家が初めて解説する場となった。

「何不」の漢字2文字が刻まれたとみられる刻書土器

「何不」の漢字2文字が刻まれたとみられる刻書土器

 刻書土器は、弥生時代後期末―古墳時代初め(2世紀後半~3世紀中ごろ)に作られたつぼの破片。漢字「何不」は「なんぞ~ざる」などと読み、「どうして~しないか」という反語。「何不」の後に文字が続いていたと考えられることから、文章の一部との見方がある。ただ、この時期、日本列島内で文字が使用されていた証拠となる土器片などの類例は少なく、高知県で出土した理由も大きな謎となっている。

「何不」の2文字が刻まれたとみられる土器片から、つぼ全体の文字数を推定した図(県立埋蔵文化財センター提供)

「何不」の2文字が刻まれたとみられる土器片から、つぼ全体の文字数を推定した図(県立埋蔵文化財センター提供)

 文章の可能性がある土器片が見つかったと聞いた時、「半信半疑だった」と田中教授。日本列島内で文字が使用された痕跡としてはそれまで、1字程度の記号的な文字などしか見つかっていない上、「かつて海外交流の拠点だった福岡県で出てきたのなら分かるが、高知県という場所に大きな違和感があった」と振り返った。

 だが、実際目にした刻書土器は「文字にしか見えないという印象だった」と語り、講演では、中国「後漢」時代の漢字字典の字体などを示しながら「字形や筆順に矛盾がなかったことから、『何』『不』という漢字の釈読案を示した」と説明した。

 文字が刻まれた時期は邪馬台国前後の時代と重なり、「卑弥呼王権の時ですら文字技能を持った人材がいなかったとされている。若宮ノ東遺跡で文字を記したのは倭人(わじん)ではなく、渡来人だと想定するのが妥当だろう」と指摘した。

 渡来人が滞在したと考えられる理由として、中国の歴史書「魏志倭人伝」の記述に注目。同書が動植物や鉱物資源を詳細に記している点に触れ、「文字技能を持った渡来系官人が、日本列島の資源の有無を記録するため、当時、南四国の拠点集落だった若宮ノ東遺跡を訪れた可能性はある」と推測。さらに、わざわざ四国にまで足を運んだのは「水銀朱(古代の希少な赤色顔料)を確認しにやってきたのではないか」との仮説も示した。

来年3/31まで県立埋蔵文化財センターで企画展
 講演会を主催した県立埋蔵文化財センター(同市篠原)では2026年3月31日まで、同遺跡の調査実績を展示した企画展「土佐のまほろば新発見 若宮ノ東遺跡」が開かれている。(久保俊典)

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