2025.06.27 08:40
入選作「人魚の涙」 中沢晋二(64)高知市―高新文芸 短編小説

挿絵・桧垣文乃
前日の電話で、コスモス見物に母の一子(いちこ)を誘ったのだ。高齢で独居の母には久々の気晴らしになるだろう。電話の声は弾んでいた。
その五分後、洋は妻の直美が義母の見舞いのため同行できないことをはたと思い出し、慌ててかけ直したが、母は電話に出なかった。
携帯ではなく、固定電話にかけても一向に出ない。園芸が生きがいの一子のことだから、たぶん庭の花壇に出ているのだろうと洋は独り合点し、出勤した。そして煩雑な業務に追われ、ついリダイヤルを怠ってしまった。
明けて日曜日の朝。数日来の雨催(あまもよ)いから一転、空高くうろこ雲の広がる晴天となった。
親子水入らずも悪くはないと思い、洋は実家の門の前に立った。と、山吹色に黒い紋の翅(はね)の蝶(チョウ)が一匹、中空をひらひらと舞っていた。
その舞に誘われるように玄関の引戸を開けると、テレビのバラエティ番組の笑いさざめく声が耳に届いた。洋はほうと安堵(あんど)の溜息(ためいき)をつき、玄関先に立ったままいつものように、「おかあちゃん、きたで」と呼びかけた。
返事がない。わざとらしい大爆笑のノイズが耳に障る。再び「きたでえ」と声を張り上げたけれども、やはり返事はない。…






















