2025.05.09 08:53
「よう忘れませんき」―語り継ぐ命 紫雲丸事故から70年(上)
茶封筒を切り開いた紙にびっしりと、鉛筆で小さな文字が記されていた。伊藤清子さん(84)=香美市土佐山田町=が白髪を耳にかけ、目を落とす。「本当はね、思い出しとうない。でも話さないかん。私は生かされちゅうきね」。70年前の記憶を書き起こした文字を指でなぞり、ゆっくり語り始めた。
1955年5月11日午前6時40分。修学旅行で京都や奈良を巡る高知市の南海中学校3年生117人と引率教諭4人を含む、旅客781人を乗せた国鉄の宇高連絡船「紫雲丸」(1480トン)は岡山県の宇野港に向け、高松港を出た。
お弁当や白米を抱えた南海中生は前夜、席を確保するため旭駅から夜行列車に乗り込み、早朝の午前6時前、当時の高松桟橋駅に到着。船に1時間5分乗り、大阪行きの列車に乗り換える予定だった。
日本がまだ貧しかった時代。伊藤さんは近くの魚市場で…























