2023.01.29 08:30
「何とかなるろう」の支援者たち シン・マキノ伝【55】=第4部おわり= 田中純子(牧野記念庭園学芸員)
箱根にて。左より久内清孝、朝比奈泰彦、緒方正資、木村雄四郎、佐々木舜一、前列は牧野富太郎(大正15年、個人蔵)
すでに述べてきたように、「植物研究雑誌」が津村研究所出版部から刊行されるようになったのは、刊行を企図した木村雄四郎と、相談を受けた朝比奈泰彦および久内清孝の厚意によるところが大きかった。今回は、久内清孝についてである。
久内と牧野の交流については、久内が亡くなった翌年の昭和57(1982)年に刊行された「久内清孝名誉教授追悼集」に掲載される略歴によれば、久内は、私立横浜英語学校を卒業した後、神奈川県雇となり、明治42(1909)年に「牧野富太郎研究室に入る(隠花植物・高等植物の分類学的研究)」。これは、牧野に師事したということであろう。…