2024.01.01 08:30
創刊120年に寄せて 高知新聞社代表取締役社長・中平雅彦 いま再び自由民権の精神を
高知新聞は1904(明治37)年9月1日、日露戦争のさなかに誕生しました。ことし創刊120周年を迎えます。
源流は1874(明治7)年、板垣退助らが創立した立志社(政治結社)の時代にさかのぼります。立志社は「高知新聞」を発行し、機関紙として活用しました。本紙の源流はこの時代にあります。
高知新聞は明治政府の言論弾圧によって発行禁止となり、抗議行動として「新聞の葬式」を挙行。身代わり紙として出した「高知自由新聞」も発行禁止を命じられたため、立志社は「土陽新聞」を発行しました。時代が流れ、この土陽新聞から独立して創刊されたのが現在の高知新聞です。
板垣退助、後藤象二郎らは立志社発足3カ月前の1月17日、明治政府に「民撰議院設立建白書」を提出します。今から150年前、自由民権運動の始まりです。
歴史研究家の公文豪さん=香南市=が、高知新聞社発行の「土佐の自由民権運動入門」で解説しています。
明治新政府の要職を占めていたのは、徳川幕府を倒した薩摩、長州の勢力で、権力をほしいままにしていました。憲法も国会もなく、国民に言論・出版・集会の自由などの権利は保障されず、重税に苦しめられていました。
これに対して板垣らは、国会の開設、憲法の制定、言論集会の自由、租税の軽減、地方自治の確立、不平等条約の改正などを求めたのです。建白書を機に議論が巻き起こり、自由民権運動が全国に広がります。
1889(明治22)年2月、大日本帝国憲法が発布されます。薩長藩閥政府が決めた、天皇を頂点とする欽定(きんてい)憲法でした。それは植木枝盛らが欧米諸国の憲法や独立宣言などから構想した人権思想に基づく憲法とは全く異なるものでした。
国会開設を求めた建白書の提出から150年。日本の現状はどうでしょう。
歴代政権の憲法解釈では認められないとしてきた集団的自衛権の行使容認を、一政権の閣議で決定。憲法解釈変更を正当化するため官僚人事にまで介入しました。
政治の私物化と批判された問題では、野党が憲法に基づき国会召集を要求してもたなざらし。与党政治家は政権に批判的な報道や番組に暗に圧力をかける。
地方分権論議は下火となり、中央集権、東京一極集中が続く。在日米軍は日本の国内法を軽んじ、それを許す日米地位協定は手つかずのまま。
社会保障費に充てるためと導入された消費税は2桁まで税率を上げ、一方で自民党派閥の政治資金裏金疑惑が浮上するありさまです。
2024年は、本紙創刊120周年と自由民権運動150年が重なる年。先人たちが命をかけて闘った自由民権運動は、現代社会に照らしてどんな意義をもつのか。いま再び、自由民権の精神を県民、読者の皆さんと考えたいと思います。