2023.04.07 08:33
ウクライナ避難民が高知に「まずは日本語話せるように」 4/7専門学校入学
「高知はすごく都会」「アニメの呪術廻戦も好き」と話すヴラジスラヴさん(高知市内の支援者宅)
ボルノバハの町中に放置されたロシア軍の焼け焦げた戦車(2022年3月14日撮影、本人提供)
ヴラジスラヴさんは同州ボルノバハの生まれ。15歳で南隣のマリウポリの学校に入り、溶接などの技術を習得。卒業後に製鉄所で勤務した。後にウクライナ側の抵抗拠点となったアゾフスターリ製鉄所で働き、侵攻が始まる1カ月前に故郷に戻った。
2022年2月。侵攻のニュースが流れる前に、近くに砲弾が落ちた音で「戦争が始まったと分かった」という。
すぐに父母ら家族5人で、自宅マンション地下の防空壕(ごう)に身を潜めた。電気、暖房のない湿った空間で、他の住民とともに寒さに震えた。昼夜を問わず砲弾が空を切り裂き、爆発音が響いた。
数日後、食料を求めて外へ出ると多くの民家の窓は割れ、商店で略奪する市民の姿もあったという。
1週間ほど後にロシア兵が町に現れた。ウクライナ兵が応戦していたが「うわさでウクライナ側の弾薬が十分でないと聞いた」という。「ロシア兵が民間人に発砲することはなかったけど、民家や学校にロケットが撃ち込まれていた。恐怖と憎しみしかなかった」
3月17日に、避難者が多く流入した列車の到着駅があるロシア南部タガンログへ家族で移った。
もともと日本のテレビアニメが好き。「毎日午後6時から(忍者アニメ)『NARUTO―ナルト―』が放送されてて見ていた」。いずれ日本に留学したい思いがあった。祖国に戻れば18~60歳の男性は原則、出国禁止となるため「ロシアにとどまり、日本に避難する方法を見つけようと思った」。1カ月ほど後に単身、列車で日本により近いウラジオストクに移った。コンピューター会社のコールセンターで働いた。
22年秋ごろに、ネットで「高知ウクライナ友の会」とつながった。同会代表で首都キーウ出身のコスチャンチン・オヴシアンニコウさん(32)=元高知工科大助教、現湘北短期大学助教=は「パスポートを所持しておらず、出国は難しいと思っていた」が、日本政府が12月に日本への渡航許可証を発行。今年3月に日本入国を果たした。高知大学医学部内に本部を置く認定NPO法人「BRIDGE(ブリッジ)」も協力。「いろいろな人の協力で、本当に奇跡的に受け入れることができた」という。
一方、家族は避難したロシアの町で今も暮らす。
「ロシアの若者は戦争に反対している人が多かった。ウクライナの友達も5人死んだ。戦争は上の責任だと思う」「ロシアは町を破壊した侵略者。すごく腹が立つけど、父はロシアの政策を支持している。理由は僕には分からない。父のことは愛しているし、ウクライナの勝利も願っている」
ヴラジスラヴさんは将来「日本でコンピューター関係の仕事をしたい」。住宅は当面、賃貸アパート大手レオパレス21の提供を受ける。家族とはネットで連絡を取り合っている。今の状況も伝えると「父も安心している」という。
これから日本語学科で2年間学ぶ。「日本の人にとても助けてもらってる。どんな貢献ができるか分からないけど、日本でずっと暮らしたい。まずは日本語を話せるようになりたい」と話した。(新田祐也)