2022.05.11 08:40
牧野富太郎博士が愛したヒメアジサイ〝里帰り〟 半世紀超え、高知県立牧野植物園から東京の自宅跡庭園へ
東京に贈られたヒメアジサイ(高知市五台山の県立牧野植物園)
同植物園によると、ヒメアジサイは博士が1928(昭和3)年に長野県の戸隠山の民家で育てられていたのを発見。澄んだ青の花が姫のように優美だったことから名付けたとされる。博士も東京都練馬区の自宅の庭(現・牧野記念庭園)に植え、大変なお気に入りだったという。
博士は57(昭和32)年に死去。ヒメアジサイは、次女の鶴代さんが博士の蔵書を県に寄贈した60年ごろ、同植物園に譲ったと言い伝えられており、「博士のヒメアジサイ」としてこれまで大切に育てられてきた。
一方、博士の庭にあった株はとうに姿を消していたよう。2012年、同植物園の学芸員、藤井聖子さんが東京の庭園にある植物を確認していた際、ヒメアジサイがないことに気付いた。高知の株を分けようと計画したが、博士の花だという記録が見つからず、博士が残していた標本を使ってDNA鑑定をしようとしたものの、古すぎてかなわなかったという。
だが昨年、同植物園が所蔵する1982年発行の雑誌「ガーデンライフ」に、元園長の山脇哲臣さんが鶴代さんからヒメアジサイの挿し木をもらい、それが園に残されている―という記事を発見。本物の裏付けが取れたことから、博士の生誕160年に合わせ、高さ140センチの株を贈ることとなった。
藤井さんは「本当に澄んだ青い花を咲かせる。いろんな植物を見た博士が『美しい』と言ったほど。半世紀の歴史に思いをはせてほしい」と話している。
東京の庭園では14日、関係者が植樹式を行う。高知の植物園のヒメアジサイは現在、青いかれんな花を付け始めたところだ。(浜田悠伽)