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2019.06.21 10:39

10年以上の時を経て…「復活オープン」した高知のお店 それぞれの物語

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 一度はのれんを下ろしたお店が、10年以上の月日を経て「復活オープン」したという。店主らにはそれぞれのドラマがあるようで―。高知市にある2つの飲食店を訪ねた。



高知市桟橋1丁目の焼肉屋「肉処 一福」は、5月1日に15年ぶりの復活オープンを遂げた。店主は中川篤さん(31)。昭和40年に篤さんの祖父・広さんがこの地で開業した店を、名前もそのまま3代目として継ぐことになった。

「須崎の漁師だった祖父がある時大阪でホルモン焼きを食べて、これは売れると思ったのか、この近所で屋台の焼肉屋を始めたと聞いています」

経営のことも料理のことも、ゼロからのスタートだった祖父。「最初は市販のしょうゆにニンニクのすりおろしを合わせただけのタレを出していて、お客さんにこんなん出すなと怒られたとか」

大阪で食べた味を思い出しながら試行錯誤を重ねた末、2日かけて仕込む秘伝のタレが完成。一福の名物となった。

昔からのお客さんが来ると、必ず「タレは変わってないかね?」と聞かれるという。15年の時を経ても「待ってくれてた人がこんなにおるんやなって。復活してよかったなって思いますね」

秘伝のタレを仕込む篤さん


大学卒業後、大阪で運送業や飲食業などさまざまな経験をしてきた篤さん。その後、店を復活させたい思いがこみ上げ、2年ほど前に高知にUターン。開業資金を貯めるため、朝から夜中まで三つの仕事を掛け持ちする生活を送った。

やっとの思いで、今年5月に開業。自身で店を切り盛りする立場になり、祖父や両親らのことを「すげぇな」と思うようになったという。自分ひとりで肉の仕入れから料理の仕込み、経営のことまで考える自営業に、やりがいと同時にプレッシャーも感じる。

「おじいちゃんらがやってた頃は今より店も広くて。夕方のオープンから朝4時まで、ずっとにぎわってた。店をもつ、続けるってすごいことなんやなって」
篤さんら3人の子どもを育てながら毎日仕事をこなしていた両親や、今は亡き祖父の姿が浮かぶ。「一福」の新しい歴史は始まったばかりだ。

昭和40年 開店当時の「一福」 店の前で写るのは篤さんの祖父母



高知市追手筋の「マルコ・ポーロ」は、今年2月、18年ぶりに復活オープンしたイタリア料理店。おびさんロードにあった頃の写真を見ながら「おまちで働く会社員の人らを中心に、若い人でにぎわった。活気があって、忙しかったね」と当時を振り返るのは、店主の安岡宗一郎さん(60)。

安岡さんは東京でスポーツカメラマンを経験し、25歳で高知にUターン。興味があった料理の世界に足を踏み入れた。市内の飲食店で働いた後、平成3年にお店をオープン。ランチタイムから夜まで、従業員4~5人を抱えながら忙しく働いた。

約20年前のマルコ・ポーロ おびさんロードと中の橋通りの交差点にあるビルで営業していた


充実した日々だったが、「開業のために2200万円の借り入れをしたんでね。1日働いても、まだあと何百万円返さないかんなぁと売り上げに追われて… けっこうしんどかったね」

平成12年にイオンモールが高知に進出し、市中心部から人足が遠のいたことで売り上げが低迷。それから1年ほどで「もうからへんし、辞めようって。わりとあっさり閉店しましたね。好きなことして生きたいなと」

もともと「拘束されるのが嫌い」な自由人。ホテルやレストランで朝食専門の職を探し、昼すぎに仕事が終わると、ロードバイクや鉄道模型の趣味に没頭した。

友人から「20年借りっぱなし」というロードバイク


セミプロレベルの選手に混じって国内各地のヒルクライムレースに参加したり、高知市内から尾道まで日帰りでバイクを走らせたことも。「とにかく日中は走っていたくてね。夜は酒飲んで、鉄道模型して」そんな生活を20年ほど送っていたが、「60歳になったらまた店やろうと思ってたんで。偶然空きが出たこの場所で、再スタートとなりました」

前の店で使っていたランプも「復活」


内装を自分で手がけるなど初期費用を抑えたため、かつてのように売り上げに追われることはない。ゆったりと、夫婦2人で居心地のいい空間を作っている。

かつてお店に通ったという客らから「おびさんでやりよったよね」「復活してくれたんやね、ありがとう」と声をかけられることも。「振り返れば、好きなことばっかりやってきた人生やねえ。それで感謝されるなんて…ありがたいねえ」(木田名奈子)

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