戦後75年 言葉を刻む
終戦から75年。全国の地方紙と連携し、新聞記者がこれまで取材した戦争体験者の声を紹介する「言葉を刻む」。あらためて戦争の悲惨さや平和の尊さを見つめ直す。
23記事
戦後75年 言葉を刻む
終戦から75年。全国の地方紙と連携し、新聞記者がこれまで取材した戦争体験者の声を紹介する「言葉を刻む」。あらためて戦争の悲惨さや平和の尊さを見つめ直す。
23記事
【戦後75年 言葉を刻む=終】南海の戦場に散った戦友は何と思うか。日本に帰れるのか
南海の戦場に散った戦友は何と思うか。日本に帰れるのか (高知市、山崎幸喜さん) 独立山砲兵第10連隊に配属され、ソロモン諸島に転戦した。戦況は日増しに悪化し、ガダルカナル島から西へと敗走。1945年...
【戦後75年 言葉を刻む】これで戦争が終わる。うれしかったなあ。とにかくうれしかった
これで戦争が終わる。うれしかったなあ。とにかくうれしかった (南国市、島内一夫さん) 1943年に文科系学生の徴兵猶予が停止され、多くの学生が任用される中、志願しなかった。東洋大で学んでいたニーチェの...
【戦後75年 言葉を刻む】今でも夢に見らあや、玉城や渡辺を
今でも夢に見らあや、玉城や渡辺を (黒潮町、武政福一さん) 1945年4月、「水上特攻」を命令され沖縄へ向かう駆逐艦「涼月(すずつき)」に乗っていた。鹿児島沖で米軍機の爆撃を受けた。任務は「甲板整理」...
【戦後75年 言葉を刻む】道中は死体だらけ。兵隊より住民の方が多く、五体満足な死体はなかった
道中は死体だらけ。兵隊より住民の方が多く、五体満足な死体はなかった (大津市、木本勇さん) 沖縄防衛を指揮する第32軍司令部に出向し、首里城地下の壕(ごう)内で印刷事務を担当していた。だが、戦線は悪化...
【戦後75年 言葉を刻む】逃げるのに必死やったき、身軽になってほっとした
逃げるのに必死やったき、身軽になってほっとした (高知市、鎌倉八代喜さん) 1940年に結婚し、満州へ。夫は軍属として朝鮮に行ったため、1人で幼い3人の子どもを育てていた。旧ソ連軍から逃れるために乗...
【戦後75年 言葉を刻む】結局、国は死ぬるがを待ちゆうがよ。カネ払うに及ばんき
結局、国は死ぬるがを待ちゆうがよ。カネ払うに及ばんき (南国市、松下俊雄さん) 長崎市の造船所で作業中に被爆した。けがはなかった。工場長から指示を受け、1週間ほど死体の片付けに当たった。「担架で運んで...
【戦後75年 言葉を刻む】食料がなくなった人間の極限状態はどうなるか分かりますか
食料がなくなった人間の極限状態はどうなるか分かりますか (須崎市、里見高義さん) 1945年、フィリピン・ネグロス島で、野戦病院の衛生伍長として従軍。食料は底を突き、米軍からの砲撃を避けるために山奥へ...
【戦後75年 言葉を刻む】数合わせのように農村から多くの者が戦地に行かされた。本当に哀れなもんだ
数合わせのように農村から多くの者が戦地に行かされた。本当に哀れなもんだ (岩手県遠野市、菊池茂さん) 農家の跡取りだった父、萬慶(まんけい)さん(1945年、47歳で死去)が盛岡の陸軍部隊に召集された...
【戦後75年 言葉を刻む】突然、目の前が真っ黄色になり、影がなくなった
突然、目の前が真っ黄色になり、影がなくなった (高知市、植野克彦さん) 中学1年だった8月6日、広島市の爆心地から約1・5キロ南で被爆した。級友たちと学校農園へ向かう途中、すさまじい爆風で吹き飛ばさ...
【戦後75年 言葉を刻む】死後の処置しよったら、もう次が死ぬるようになっちゅう
死後の処置しよったら、もう次が死ぬるようになっちゅう (高知市、西内清子さん) 看護婦としてビルマ(現ミャンマー)に赴き、敗戦間際には南部の都市モールメン(現モーラミャイン)で敗走する日本兵の手当てに...
24時間
1週間
1ヶ月
【5/27更新】なにげない高知の日常 写真特集「高知百景」
業界最大手 うどん県で伸びず(香川)丸亀製麺 本場に1店―ニュースを歩く
コロナを「5類」に緩和は妥当? インフル並み、高知県内でも議論
山の暴れん坊をおいしく…高知県佐川町にジビエ店 イノシシ肉ソーセージなど販売 6/10オープン
北にないのに「高知北高」なぜ 創立50周年、当事者知らず 発足当時の場所関係「?」 【なるほど!こうち取材班】
クジラ死骸漂着 砂浜に埋める 室戸市
高知県内新たに167人感染 県体出場の5校10人も 新型コロナ5/27
無人島のメジロ姿消す、外来種サンジャク影響か、保護団体「野鳥減少恐れ強く」、高知県の黒潮町・鹿島
教え子にわいせつ 元クライミングジム経営者に実刑 高知地裁判決
高知県内新たに177人感染 県体出場の部活でクラスター 5/26新型コロナ