Let’s go o-henroad! 「お遍路ードプロジェクト」について

127日目「高野山の退屈な山道を登りながら、四国遍路道の楽しさを思う」(2016年5月24日)

歩数 41254歩
距離 24.7km
消費カロリー 978kcal

 2月に126日間の歩き遍路の旅を終え、高野山にお礼参りをすませたのは3月15日。本来ならばその翌日の16日の高知新聞の朝刊に竹内一記者の『ハマちゃんと歩く 1201年目の88カ所』の記事が載り、高知新聞のホームページに黒ちゃんのお遍路ブログ『釣りときどきお遍路』日記がアップされるはずだったのだが…。
 高野山登山が後に述べる理由で意外にも感動が薄かったので、竹内記者と相談して新聞にわれわれのお遍路を総括する「総集編」を掲載するタイミングにあわせて、ブログも更新しようということになった。
 じつは、相当にハードな一日だったので、ふたりとも肉体的精神的にその日の夜に原稿を書く余裕がなくて「早くビールタイムにしたかった」というのが本当の理由なのだが(笑い)。
 「高野山お礼参り登山の様子をご報告します」と自ら予告を打っておきながら、2か月も経った今日になってしまったこと、多方面にご迷惑をおかけしたこと(ウソです)、お詫び申し上げます。

 お礼参りの高野山・奥の院への遍路道は、麓の九度山(くどやま)から「町石道(ちょういしみち)」と呼ばれる登山道を延々と這い登るルートである。この道は女人禁制だった高野山の麓にある慈尊院に籠もった母・玉依御前に会うため、若き空海が月に9度も行き来したと伝えられる歴史ある道である。九度山の地名はそれに由来する。
 「母に会うために月に9回もなんて、空海はぜったいマザコンだったよね」と黒ちゃんが言えば、「確かに」と頷くしかない竹内記者であった(なんのこっちゃ)。
 「町石道」は距離にして20km超、登山道入り口の慈尊院からの標高差は700mである。「お四国」を歩くときに竹内記者と決めた「1日20kmまでルール」は最初から返上しなければならない。天気はよかったのだが、前日に降った季節はずれの大雪で高野山の中腹から上は真っ白。道は雪でぬかるみ、頭上からは融けた雪が雨になってザアザアと降ってくる。まさかこんな艱難辛苦のサプライズが最後の最後に待っているとは…。お大師さまはとことん油断のならないお人である。
 それでも、あの弘法大師空海が今も生きているといわれる聖地・高野山である、苦労の末に歩き終えてみればそれなりの感動と達成感があると期待していたのだが、正直、期待はずれであった(トホホ)。
 「町石道」は、お遍路さんの生々しい息遣いが聞こえる四国の遍路道とは違い、長くて辛いだけのただただ単調な登山道で、お遍路道を歩くと誰もが感じるであろう、あの「タイムスリップ感」もない。多くのお遍路さんの足によって踏み固められた人くさい「道のにおい」がしないのである。
 結局、真言密教の総本山・高野山を登りながら、はからずも四国遍路道の素晴らしさを確認するというへんてこな旅になった。そして誤解を恐れずに言えば、同じ弘法大師をいただきながら、高野山とお四国とは別物なんだということも強く感じたのである。

 さて。足掛け3年、総距離1500km、127日間を費やした四国霊場八十八か所巡拝のシャクトリムシ遍路を終えて3か月あまり経っても、黒ちゃんのカラダと脳にしっかりと刻み込まれて消えない2つの「記憶」がある。それは歩くという行為の持つ根源的な「気持ちよさ」と、四国の自然への「深い感謝」の念である。
 「歩くこと」はすべての生き物の中で唯一「二足歩行」を許された人間の基本的な行動様式であり、歩くことは人間の喜びであると同時に義務でもある。生きている間は「歩き続けること」が人間の宿命であり、「歩けること」そのものに感謝すべし、とお大師さまは言っているのではないか。「歩き遍路」はそのことを自分のカラダに納得させるためにある、そう思うのである。
 また、歩き遍路は四国の自然と地図情報を自分のカラダのなかにインストール(刷り込む)する行為でもあった。四国という島がどのような自然環境のもとにあり、どのような地勢の土地で、そこでどのように人々の暮らしが営まれているかを直接自分の目で見て、肌で感じて、脳に記憶する旅だった。
 生まれて60年間、東京という土地で暮らしてきた黒ちゃんは、四国では明らかに異邦人であった。それが歩き遍路を終えた今は、ネイティブな四国人に負けないくらい四国人になれた気がする。
 炎天下の真夏遍路で火照ったカラダをさっと冷やしてくれる木陰、そよ吹く風のありがたさを知った。耳や目を癒してくれる野鳥の声、野の花も歩き遍路ならではの楽しみと知った。
 1200年の時代を超えて受け継がれてきた「お遍路」の底力はじつはそういったところにあるのではないか。真言も般若心経も理趣教も唱えず、お遍路の衣装も金剛杖も持たないフリースタイルで1500kmを歩いた黒ちゃんにとって、四国遍路は「歩く」という行為のもつ奥深い意味を自らのカラダを通じて学んだ忘れられない旅であった。

 シャクトリムシ遍路の締めの一句
 <お四国は 歩くことなり ひたすらに>

追伸
 黒ちゃんのお遍路ブログ『釣りときどきお遍路』日記のご愛読ありがとうございました。この旅の記録は竹内一記者の新聞連載と合わせて、今年の秋ごろには一冊の本にすることができそうです。 どうかご期待ください。

黒笹慈幾


麓の九度山・慈尊院から高野山への登山道「町石道」はこんな感じの登山道。前日の季節外れの大雪が解け、林床はズルズルのぬかるみ状態だ。


標高差700m、延々20kmに及ぶ登山道をようやく這い上がって車道に出たところに「奥之院」の標識が。


奥之院の納経所で最後の墨書とご朱印をいただく。黒ちゃんの姿を見て歩き遍路とわかったのだろう「歩いて来られましたか。ご苦労さまです」とねぎらいの言葉をかけていただいた。


高野山「大門」の前で。余裕のありそうな表情をしているが、じつは疲労困憊。「こんな退屈な道ならムリせずケーブルカーで登るんだった」と顔に書いてあります。


帰り道は当然のことながらケーブルカーで。麓の極楽寺駅まではあっという間に着いてしまった。


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