Let’s go o-henroad! 「お遍路ードプロジェクト」について

44日目「ヒザが笑いっぱなし、いきなりの歯長峠越え」(2015年1月23日)

 歩数 22348歩
 距離 16.0km

 冒頭から弱音を吐くようだが、 初日にいきなりの歯長(はなが)峠越えはきつかった。正月の不摂生でカラダがなまっている上に、脚も初日ということで油断していたのであろう。筋肉が未だアイドリング状態で、標高差200mの峠越えの覚悟ができていなかった。
 前夜は宇和島市内のホテルに泊まった。朝8時にタクシーに迎えにきてもらい先回の最終地点である仏木寺まで移動、8時40分スタートですぐ県道31号線を外れ、43番札所・明石(めいせき)寺に向けて峠越えの遍路道に踏み込んだ。幸い心配していた雨は大丈夫そうである。

 そういえば先回の12月のお遍路ードも、初日にいきなりの松尾峠越えで大いに難儀したっけ。2回連続で「初日峠越え」が巡ってきた我々の尺取り虫遍路の悪い流れを「どこかで変えなイカンなあ」などと、独り言をこぼしながら歯長峠の登りの遍路道に取り付く。高森山の東斜面、岩盤の上に作られた遍路道は乾いていれば快適なのだろうが、今日は前夜の雨で濡れていてツルツル滑る。危なっかしくて気が抜けない。最後の20分の尾根道の急登に息を切らせながら歯長峠に到着。晴れていれば眺望が効くのだろうが、残念ながら白い霧に覆われている。

 峠からの急な降り道は、山道の上に積もったどんぐりのフカフカ落ち葉が雨に濡れていて、これまた激しく滑る。登り以上に踏ん張りがきかず、それをかばおうとするとヒザに負担がかかる。そんなことの積み重ねで、再び県道31号線に復帰したころには黒ちゃんの両ヒザが悲鳴をあげていた。スキーでいう「ヒザが笑う」状態だ。お遍路初日でいきなり笑えない「ヒザ笑いっぱなし」である。情けないといったらない。

 笑いまくるヒザをあやしながら、平坦な道を6kmほど歩いて明石寺に到着した。明石寺の境内は訪れる人もなく静かだったが、明治に作られたという国の登録有形文化財の指定を受けている仁王門や、本堂の佇まいがなかなか素敵だった。ここの御本尊は秘仏の千手観音菩薩で、毎年8月9日だけ御開帳になるそうで、ご尊顔を拝することかなわず。真言の「おん、ばざらたらま、きりく」を三度唱えて、般若心経は省略させていただきました。
 それにしても居心地のいい境内である。このあと今日は宇和町卯之町の冨士廼家(ふじのや)旅館までの2.5kmを残すだけなので、ゆっくり散策する。江戸時代末期に作られた鐘楼堂で「ゴン」のひと突きをしたり、納経帳に墨書をいただいたりしているうちにあら不思議、ヒザの笑いが治まってきた。
 これはお大師さまのご利益に違いないと、大師堂の前で「南無大師遍照金剛」を三度唱えていると、急に「ヒザ笑い大師」という言葉が浮かんできて笑いが止まらなくなった。語感が東京足立区にある「西新井大師」に似ているのだ(高知生まれの竹内記者にはピンとこないようだったが)。お大師さま、ヒザが笑った後に本当に笑いが止まらなくなっちゃった不謹慎な黒ちゃんをお許しください。明日は真面目に歩くことにします。

〈大笑いのあとの一句〉
峠越え ヒザが笑って 初笑い
黒笹慈幾


歯長峠の遍路道、最後の急登攀の道しるべ。「きついのは最初だけ。峠まで20分」と念入りに書いてある。


峠までの遍路道の途中にこのような崩落箇所が。できるだけ下を見ないようにして無事通過。


峠の地蔵堂のなかに祀られていた石のお地蔵さまたち。左手の看板には歯長という地名の縁起が書かれている。平家の落人で伝説の大男だった歯長又太郎に由来するという。


峠からの眺望は、ご覧のとおり白い霧に遮られて全く効かず。看板に右も左もお寺の名前が書かれているのは、いかにも遍路道らしい。


遍路道に降り積もった落ち葉が前夜の雨に濡れて滑りやすい。濡れた木の根もその上に乗るとツルッと滑る。


43番札所明石寺の仁王門。屋根の張り出しっぷりがなかなか美しい。


伊予の国第43番札所、源光山明石寺の本堂と参道の階段。雨の予報が出ていたからか、参拝客もなく境内はひっそりとしていた。


仁王門の袂に集められていた金剛杖。2月3日の護摩供養の日に燃やすのだという。白い札のついたものは忘れ物だそう。金剛杖を忘れるなんて、お遍路さん失格じゃないの。バス遍路さんがよく忘れるらしい(笑い)。確かに、歩き遍路さんなら忘れればすぐに気付く。


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